タイムスリップ物語 51

10月7日、朝。

大坂方は作戦に出た。
その作戦が如何様なものであったかはご想像に任せる。
戦上手の立花宗茂を先手とした大坂方の作戦は大成功に終わり、
遠方に布陣している徳川家康本陣と、数日前大坂に到着した
徳川秀忠の本隊を除くほぼ全ての東軍諸部隊が
かなりの痛手を負った。
東軍は不利な状況にあった。
彼らは豊臣家そのものに敵対しているわけではないので、
城に向かって攻撃することはできない。
大坂方は頻繁に城への出入を繰り返している。
東軍にとって大坂方が城から出てきた時しか攻撃する手段がないのだ。
初めこそ意気揚々として西軍を追い詰めたが、
やはり豊臣家を盾にされると心苦しかった。
かねてから家康は大坂城淀殿に、三成には一切加担しないことを
内密に約束させたが、それだけではやはり大坂城を本陣とする
三成達に歯が立たなかった。
少し焦りを見せた家康が言う。
「このままでは我らが逆賊扱いされてしまうであろうな」
豊臣を利用するべく挙兵した三成を討つつもりが、
予定が狂ってしまった。
ここまで来ると三成討つべしという気持ちで起ち上がった
大名の戦意は削がれている。
その後も東軍は思うように西軍を叩くことができなかった。
竜頭蛇尾の戦闘が数日続いた。

一週間が立った14日のこと。
大坂で大きな動きが見られた。
突如、大坂城の主たる豊臣秀頼が両軍に終戦を申し出たのだ。
秀頼は、家康と淀殿の密約以来、
大坂城天守で情勢を見守ることしかできなかったのだが、
今回は己の意志で行動を起こしたという。
何よりも驚いたのは両軍の諸将だ。
数え年8歳の秀頼は拙い言葉でこう言った。

「戦をやめて、仲良く手を取り合ってほしい。
真に豊臣を思っているのなら、犠牲者は出さぬはずだ」

秀頼のこの言葉は豊臣家の正式な使者によって東軍にも
届けられた。
一番苦渋の色を浮かべているのは家康だった。
家康は、天下を取るつもりだったからだ。
東軍の諸将は決断を迫られていた。
ここで秀頼の頼みを断れば完全に豊臣の敵となり、
合戦を強いられる。
受け入れれば今まで通り豊臣の家臣として生きることになる。
停戦の申し出ではないのは一目瞭然だ。
今までのことを帳消しにして、元通りになることを願っているのだ。
重い沈黙が続く東軍諸将の中で、真っ先に声を上げたのは
普段大人しい加藤嘉明であった。
「やめるべきだ」
嘉明は立ち上がって主張した。
「秀頼様は、平和を願っておられる。
俺は、これ以上の戦いに価値を見出せない…」
池田輝政が首を横に振った。
「この機を逃したら、また三成が豊臣を利用する」
「違う」
嘉明はいつにない強気な口調で出た。
「三成は…豊臣を利用するつもりなどない」
山内一豊が尋ねる。
「何故そう言い切れるので?」
「こちらの思い込みだからだ」
「!」
嘉明は続ける。
「三成は嫌われ者だった。我々もまた、三成を憎んでいた。
そのことが、三成は豊臣を乗っ取るだとか…
ありもしない法螺話を作り出した」
一同を見渡した。
「先の、小山評定にて誰よりも早く三成討つべしとの決断を
したのは誰であったか…」
——————福島正則である。
「市松は利用されていた。三成憎しの感情を、
東軍の勝利のために、利用されていた」
嘉明はチラリと黒田長政を見た。
「市松の発言は効果絶大だった。あの時、正則ですら、
内府殿の味方をするのかと…思っただろう。
彼一人の発言が決め手となり、
ここにいる者全てが次々と内府殿のお味方を申し出たのは、
偽りのない真実…」
長政が低い声で問う。
「何が言いたい?」
嘉明は溜め息をつきながら座り込んだ。
「…ここにいる者全員、豊臣を捨て、豊臣に仇を為したということだ」
「…!」
「俺も、豊臣子飼いの将でありながら、豊臣を捨ててしまった。
事実だ。今更この事実を塗り替えることはできない…
加藤家をこれ以上振り回したくなくて、市松や幸長と共に、
大坂城に馳せ参じることは敢えてしなかった。
しかし、秀頼様はお優しい……
こんな我々を、許すとおっしゃっている…」
細川忠興が短くまとめた。
「つまり貴殿は、俺達が此度石田らと戦ったのは、
豊臣を利用せんとする三成討つべしとの名目の裏にある、
三成に対する私心がそうさせたのだと、言いたいのだな」
「…少なくとも、越中はそうだろう」
「……」
「奥方殿の件もあり、三成憎しの感情が強いはず」
「…っ」

嘉明の発言に敵う者はいなかった。
嘉明は、7日の合戦にて福島正則の部隊と衝突した。
そこで嘉明は正則と馬上にて再会した。
正則は嘉明を見つけるやいなや、こう言い放ったという。
孫六!!今からでも遅くはねえぜ。俺達、待ってるからな!」
少し戦闘を繰り広げてから、正則の部隊は城内へと逃げていった。
これは作戦の内だった。
嘉明は追撃命令を下さず、正則の背中を見送った。
この時点では嘉明の意志は揺るがなかっただろう。
決定的となったのは、秀頼からの終戦の願い出であろう。
何にせよ、嘉明の発言は少なからず諸将に影響を与えた。

以上の会話を不愉快そうに聞いていたのは徳川家康及び
徳川家の家臣達であった。
家康は感情を表に出さない。
至って平生を保っていた。
それができないのは、秀忠や忠勝らであった。
しかし、徳川が天下を狙っていたのもまた事実で、
まだ豊臣の家臣である諸将達の前で、
それもまだ豊臣家に権力がある状態で、
それを公言することはできなかった。
高虎が苦笑してからこう言った。
「致し方あるめえ。ここで秀頼公の願いを跳ね除ければ、
豊臣家へ宣戦布告することになっちまう。
その覚悟がなければ…戦をやめるしかねえだろ」
高虎は徳川の天下取りを早くから見抜き、貢献するつもり
だった。しかし今、多くの大名が戦うことの意味を
失っている状態で、徳川の天下云々と言っている場合ではない、
高虎は家康を見た。
家康が、最終決断をしてくれれば、この戦は終わるのだ。
一同が家康を見た。