タイムスリップ物語 52

全ての判断が家康に委ねられた。
家康は決して態度には出さないがたいそう悔しがった。
それでも、家康には長い見通しがあった。
「(この場が丸く収まっても、いずれまた諸将の間に亀裂が走るだろう…)」
その時まで生きられるかどうかが家康にとっての問題であった。
ここにいる諸将よりも老齢であるのが現状だ。
家康の脇にいた本多忠勝が無念そうな表情を浮かべてこちらを見ている。
「……秀頼君直々のお頼みとあらば、やむを得まい。
儂は豊臣家のために奸臣石田三成と戦っておったからのう」
家康は戦を終わらせることにした。
三成の和議の申し出を断り、淀殿を中立にまわし、
強引に戦を続けただけあって、後味が悪かった。
「(いつか必ず…隙を見て天下を狙ってやる…)」

やけにあっさりしているな…と黒田長政らは思った。
使者にこのことを大坂方に報せ、武装を解いた諸将は秀頼の元に
集まった。
秀頼は述べた。
「今回の件を私は咎めない。その代わり、二度と争いはせぬと誓ってくれ」
秀頼のこの発言には三成の提案が混じっていた。
誰も処罰したくない三成が、直々にお願いしたという。
不思議なものである。
普通ならば、無駄に戦を長引かせた東軍諸将は多少の処分を
受けても何らおかしくはないのである。
だが三成は、それをしなかった。
今まで通りの体制を続行することを望んでいた。


(この望みが、再び災いを招く結果になるのは、またのお話…)



こうして、東西の争いは一件落着した。
秀頼に一礼した後諸将はそれぞれ誓書を書いて秀頼に差し出した。
その後諸将は、大坂の城下町にある各々の武家屋敷で夜を明かした。
東軍だった諸将はこの日、静かな夜を過ごした。
終戦で事を済ませたために、自分達は関ヶ原及び
その前後の合戦で無駄な犠牲を払ったからだ。
関ヶ原で勝利を収めたものの、
負けた西軍の領地を貰えるわけでもなく…
東軍にとっては何の利益もなかったのが現実だ。
これを口惜しいと思うか、仕方がないと思うかは各々次第。

この日の夜、三成は小早川秀秋に会ったという。
秀秋は関ヶ原で東軍に寝返り三成の友人である大谷吉継を死に
追いやった人物としても見られている。
あの日以来、秀秋はずっと縮こまっていた。
存在という影も薄くなっていた。
大坂合戦でもあまり活躍をしなかった。
秀秋は、三成の顔を見るや否や恐縮した。
「…っ」
「……金吾殿」
三成も秀秋の顔を見て一瞬怒りが湧いたが落ち着かせた。
東西両軍、最終的に和睦を結び終戦というカタチで終わったのだ。
秀秋のあの行為は水の泡と化しただろう。
秀秋は、また不遇な扱いを受けるのではないかと恐れた。
だが三成は平常心を保って接した。
「金吾殿…貴方は、豊臣の一族でありながら、豊臣を裏切った。
その罪は重い。そして、あの戦で俺は大切な友人を失った」
「……」
「それでも貴方は豊臣の人だ。償われよ」
「っ…」
「私は貴方を許せないが、かと言って貴方を追い詰めようとも思わない。
私も友人や家臣を失ったことは悔しい、悲しい。
だが、前を向いて生きていく。
貴方も。過ぎたことをいつまでも思い悩むのはやめなされ。
もっと前を向いて、思いっきり生きられよ」
「三成…」
「私が言いたいのはそれだけです」
三成はそう言って立ち去った。
秀秋は、ただ呆然と立ち尽くすしかなかった。
三成は、廊下を歩きながら、先だった吉継の左近の供養のことを
考えながら、結達のことも気にした。
「九州は、どうなっているのだろう……」




福島正則浅野幸長と共に加藤嘉明と再会を果たした。
嘉明が此度の終戦に貢献したことを聞いた正則の喜びようは尋常でなかった。
「ようやった…ようやった!!」
正則は嘉明の肩に腕を回し乱暴に揺すった。
「市松、落ち着いて…」
「俺ぁ嬉しいんだよ!なぁ幸長もそうだろ?!」
「はい」
幸長も喜んでいた。
「ですが、正則さんは本当に、治部を許すのですか?」
「今回は大目に見てやんのよ。何より、秀頼公に二度と戦をしないよう
言われたばっかだしな。それに…」
「それに?」
「…俺達子飼いがケンカしてたら、俺達を育ててくださった
草葉の陰の太閤殿下が……いや、親父殿が悲しむからな」
「……そうですね」
正則は二人の盃に酒を注ぎながらこう言った。
「そういや、東北はとっくに戦を終えたそうだな」
「ええ。上杉と最上は長谷堂城にて膠着状態にありましたが、
関ヶ原での西軍敗戦を聞いた上杉軍が撤退して米沢に帰還したそうです。
東北だけじゃありません。
北陸や畿内、四国でも終戦を迎えたそうです。
終戦のほどが明白でないのは、九州くらいで…」
九州と聞いて、正則は表情を変えた。
「九州はまだ戦闘中か?」
「分かりません。しかし少なくとも先月の段階では戦闘中と聞きました」
「…早く、九州にも報せが届くと良いな」
正則は盃を口につけた。
嘉明は沈黙を保っていた。
気になった幸長が声をかける。
「如何なされました?」
「いや……何でもない」
嘉明は遥か彼方九州の方角を見つめていた。

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九州では大坂合戦が終わった翌日の15日に、
肥後の加藤清正が九州で勢力拡大中であった黒田如水と面会した。
如水は14日に、途中から東軍へ味方した鍋島直茂らと
毛利秀包領の久留米城を開城させ接収していた。
そのため如水は筑後国久留米に在陣している。
清正は十数名の家臣を連れて赴き、早速如水と面会した。
黒田如水……出家前は孝高と名乗っており、通称は官兵衛。
かつて、今は亡き秀吉の側近として仕え、故竹中半兵衛と並び両兵衛と
称され秀吉の天下取りに貢献した、その知略は天才と言われた人物である。
だが後に彼はその野心を警戒され、九州に追いやられ、今に至る。
九州にはまだ関ヶ原での勝敗の行方が知り届いていない。
だからまだ九州は戦闘中である。
此度の清正の目標は、如水の各地への攻撃を中止させ、
大坂本戦の負担を減らすため九州を終戦に向かわせることであった。
如水は清正が来るなり笑顔で接した。
「おうおうこれはこれは主計殿…突然の訪問で何もおもてなしが
できず、申し訳ない」
「いえ…お構いなく」
清正は陣中で与えられた席につく。
「して…主計殿が自ら出向かれるとは、余程重要な話があるのだと
思われるが」
「その通りでござる。手前がここへ参ったのは他でもない、
如水殿に国許にお戻りいただくため話をしに参った所存」
「国許へ戻れとな?」
清正は頷いた。
「それはつまり、戦をやめよということですかな?」
「はい。先月15日、石田方の軍勢と徳川方の軍勢が関ヶ原の地にて
衝突し、たった半日で勝敗がついたとの報せが入りました」
「うむ。それは儂も数日前に知った」
「ご存知でしたか」
「それとほぼ同時に、儂の水軍部隊が豊後水道付近で
関ヶ原より引き上げてきた島津惟新殿の軍船と鉢合わせたそうでな。
ま…惟新殿は薩摩まで逃げ帰ったようじゃが…」
「知っているのでしたら話は早い。本戦にてお味方が勝った以上、
もはや戦は無用でござる。九州で残った敵の勢力は島津のみ…
主力をほとんど国許に残したかの勢力との交戦は避け、
徳川殿らと計らって
降伏を呼びかけるのが利口な手段と心得まする」
「うむ。儂もそう思っておる」
「良かった…わざわざ手前が出向くまでもありませんでしたな…」
「……」
この時如水の目が黒光を帯びたのに清正は気づかなかった。

如水は知っていたのだ。
本戦はまだ終わっていないことを。
(九州には終戦の報せがまだ届いていない)
確かに三成らは関ヶ原にて敗れた。
しかし、大坂にて最終決戦を迎えようとしているところまで
情報は如水の元に行き届いていた。