タイムスリップ物語 16

「たまさんが死んだ……?」

舞は隼人から大坂の事を聞かされた。
「え…どういうこと?何で?」
舞は開いた口が塞がらなかった。
石田三成が挙兵した。そこで、大坂にいる諸大名の妻子を
人質に取ろうとしていたところ、人質になることを拒んだ
細川夫人は自害したとのこと」
隼人の表情も暗かった。舞は信じなかった。
「逃げたんのじゃないの?」
「…逃げる方法はあった。だが、彼女はそれを選択しなかった」
「何でっ…」
「おそらく夫の言いつけを守ったんだろう」
「また旦那さんなの…!?」
舞は悔しさで目が潤む。もしたまに再会できる時があれば、
その時はもっとたくさんお話をしたいと思っていた。
だが叶わなかった。
「どうして…死ななきゃいけないの…?
旦那さんはたまさんのことが嫌いなの?」
「愛してるはずだ」
「愛してるなら普通死なせたりしない…!」
舞は悲嘆し涙をこぼした。
つい先日までいた人がもうこの世にはいないという現実。
「可哀想すぎるよ…」
隼人は何も話しかけず、ただ舞が泣き止むのを傍で待っていた。

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7月25日。
かの有名な小山評定が行われた。
家康は諸将の前で三成挙兵の旨を告げ、こう言った。
「諸将の妻子は上方(大坂)で人質になっておる故、
去就は各自の判断に任せる。大坂へ帰りたくば遠慮なく
帰り、三成に味方したくば味方して、戦の準備を致すが良い。
邪魔立ては決して致さぬ」
つまり、徳川方につくも石田方につくも自由ということだ。
諸将の間に動揺が走った。一部の大名を除いて。
そんな重苦しい沈黙を破った者がいた。
福島正則である。
「俺は内府殿にお味方致す!!」
「!」
驚いたのは周りの諸将たちである。
正則は立ち上がり、声を高鳴らせて発言した。
「三成は秀頼公をたぶらかし、利用しようとする奸臣である!
俺は豊臣家の者としてそれを見過ごすわけにはいかねえ、
今こそ内府殿と共に三成を討つべし!!」
この一言に、周りの諸大名も続いた。
黒田長政細川忠興浅野幸長池田輝政などと言った
豊臣恩顧の大名たちが一気に意を決したのである。

これはまさに家康の目論見通りであった。

そればかりでなく、中には家康に城を明け渡すとまで
言ってくれた大名もいた。
遠江掛川城主の山内一豊
彼は今回大坂まで進む予定の東海道ルートに城を持っていた。
またしても諸将がこれに続き、東海道筋に城を持つ大名は
尽く家康に一旦城を献上した。
よって家康は、西軍の最前線に近い尾張清洲城までの
城を難なく手に入れることができたのであった。

明けて26日、
福島正則池田輝政を先鋒とする東軍諸将は相次いで
陣を払い、西上の途についた。


結たちのいる江戸に戻ってきたのは8月5日のことだった…
それまでの間、結と隼人は特に新しく得るものもなく、
ただのんびりと夏をすごしていたのだが、
ついに東軍の諸将とも出会うことになる……

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その間西軍にも動きがあった。
少し遡って7月19日…
徳川家康の老臣・鳥居元忠が籠もる伏見城への
壮烈な攻城戦が開始されていた。
鳥居のもとに残されていた兵はわずか。
これは前もって家康との約束があった上である。
伏見城は捨て石であった。家康は涙ながらに鳥居に死の覚悟を
負ってもらった。二人は若い頃からの付き合いだった。
鳥居も涙ぐんで最後のご奉公を仕ると誓った。
この城に西軍の宇喜多秀家小早川秀秋島津義弘
毛利秀元らが攻め込んだ。
兵力差は圧倒だった。
だが伏見城の攻城戦は長引いた。決死の覚悟で挑む
鳥居とその士卒たちの頑強な抵抗にあったからだ。
それでもついに力押しされ、伏見城は8月1日に落城した。

一方で7月の26日には細川忠興の父・幽斎が籠もる
丹後田辺城に西軍は襲いかかった。
他にも伊勢方面の安濃津城・松阪城などにも
西軍は手を伸ばし、8月下旬には開城させていったのである。
三成も美濃・尾張方面を押さえるため、自ら8月9日に
佐和山城を出陣、10日には西軍の前線司令部たる
大垣城に入った。