タイムスリップ物語 23

「―――誤算だった…」

ここは西軍前線司令部たる大垣城
大垣城天守閣より遥か遠くの清洲方面の景色を眺めながら、
西軍の中心的人物である石田三成はそう呟いた。
三成のすぐ後ろに控える彼の重臣島左近が敵の詳しい報告をした。
「14日にも、福島正則らを先鋒とする東軍諸将は清洲城
入った模様。しかし、家康自身は未だ江戸を発っていないとのこと…」
「…俺は尾張三河の国境付近で東軍を迎撃する予定だった。
まさかこんなにも早く、西上してくるとは…」
切れ長の目をひそめながら、三成は苦笑した。
そんな主に左近は助言する。
「家康が軍令を下さない限り、奴らは動きますまい」
既に8月16日……
この日、東軍の先発が数千出されて西軍の一部の城が落とされたの
だが、これといって大垣城を狙ってくる様子は見受けられない。
「…だが左近、油断はできぬ」
「分かっておりまする。重要拠点たるこの大垣城と、
岐阜城は何としてでも死守せねばなりますまい」
「そこなのだ、左近」
三成は振り返って表情を曇らせる。
織田秀信公の立派な御覚悟はしかと受け取っている。
だが敵が正則やら池田輝政となれば気がかりでならぬ。
特に池田輝政だ、奴は元・岐阜城主だぞ。
おそらく城と周辺の地形をよく知っている。
その上に正則らの猛攻撃が加わればひとたまりもない」
「なるほど…奴らが一気に岐阜へ集えばたまったもんじゃ
ありませんね…」
織田秀信…彼は簡単に言えば織田信長の孫にあたる。
その信長と父・信忠が本能寺の変にて倒れた結果、
秀信は前田玄以らに保護されて清洲に移り住んだ。
その後、世にも有名な“清洲会議”なるもので秀信は
若干3歳にして織田家の当主となった。
それからいろいろなことがあって、美濃岐阜を拝領する。
そして今に至る。

三成は天守閣の窓から吹き込む風に結んだ髪をそよがせながら、
何やら思慮を始める。左近も空気を読んで静まり返った。
しばらく二人の間で静寂が続いたが、三成からそれを破る。
「左近」
「はっ」
岐阜城に使者を送って警戒を強めるよう伝えてくれ」
「承知」
左近が階段を駆け下りる中、三成は再び城の外を
眺望してこう呟く。
「状況次第では…皆を大垣に収集せねばならんな…」
この時他の西軍諸将は各地に散らばっていた。
宇喜多秀家小西行長島津義弘などなど…主力のメンツは
他の地の攻略に向かっている。
ちなみに三成の友人・大谷吉継は彼らとは別行動をしており、
8月上旬辺りには加賀の前田家(東軍)を牽制するべくその周辺の
諸大名への調略を行っていたのだ。
前田家は元々中立的な立場にあったが、徳川家の陰謀により
亡き前田利家の妻・まつ(芳春院)を人質に取られてしまった。
よって東軍に与することになっているのだ。

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さて、同じ16日の東軍側はというと、
家康からの軍令がまだ下されていないので、
諸将は暇を持て余してただ待つしかなかった。
一部の武将を先発として出しているが、正則ら大株は
動くこともできない。
「くそぉ…いつになったら内府殿からの指示は来るんだ?」
正則は数人の東軍諸将を集めて今後を話し合っていた。
加藤嘉明黒田長政細川忠興藤堂高虎池田輝政らといった
面々が顔を合わせるように席についている。
業を煮やす正則をなだめるのが黒田長政の役割らしい。
長政はまぁまぁとなだめる。
「まだ二日しか経ってないだろう。そう焦るな」
「俺は一刻でも早く戦いてぇんだよ。目の前に三成が
いるんだぞ?この機を逃してからは遅い!」
正則は苛立っている。彼自身は今朝にも井伊・本多の元へ
行き、苦情を訴えていたのだが井伊・本多自身も何も
知らされていないのが現状なので、待たれよとしか言えない。
藤堂高虎が腕を組んで眠そうに正則へ話しかける。
「アンタなら三成がどこにいたって倒せるだろう?」
「うるせえ。西軍が集まらないうちにやっちまいてぇんだよ俺は」
「そうかい。ま、今なら大垣も手薄だけどよ」
今度は細川忠興が言葉を発する。
「別に内府殿の指示を無理に待つことはなかろう。
俺は早く三成にこの恨みを晴らしたい」
先日の妻子人質作戦のことを根に持っているのだろう、
忠興も早く戦に出たい様子だ。
正則は言う。
「内府殿は俺たちを捨て石にするつもりじゃねーだろうな?」
「まさか、何を言うんだ正則」
長政が答える。
「内府殿にはきっと、何かお考えがあってのこと」
「それを早く済ませろっつー話だよ!」
正則は立ち上がり、隣に座っていた加藤嘉明の腕を掴む。
孫六、今一度軍監(井伊・本多)の所に行くぞ!」
嘉明は何で俺も?と言わんばかりの
面倒臭そうな顔をしたまま正則に引っ張られていった。
二人が立ち去った後にずっと口をつぐんでいた池田輝政
口元だけ釣り上げて微かに笑った。
「相当焦っているな、大夫(正則)は」
それには隣に座った高虎が答える。
「ああ。東軍の要があのザマなんだ。
あまり俺たちを待たせるのは得策とは言えないな」
池田輝政加藤嘉明に負けないくらい小柄な人物だった。輝政は、
若い頃立て続けに不幸に見舞われながらも、一人の立派な一大名へと
出世した。それには徳川家康の存在も今回大きく関わっている。
今回正則と同じ先鋒に任じられているのだが、
正則が焦る一方で輝政は落ち着いていた。
輝政には余裕が見受けられた。
輝政は立ち上がって、
「私には何の心配事もないがな」
とのみ言い残して退室した。その後忠興が思わず、
「池田の奴、やけに自信ありげではないか」
と珍しく長政に話を振った。
長政も答える。
「そうだな。輝政は内府殿からもかなり良いように見られてるし」
「同じ娘婿でも福島とはだいぶ違うな」
「正則と輝政じゃワケが違うからね。正則は、あくまでも豊臣の
ために豊臣の家臣として、三成と戦うワケなんだから。
対して輝政は、もはや徳川の一味といっても過言ではない。
そもそも根本的に東軍にいる理由が違うのさ」
長政の的を射た返答に忠興はニヤリと笑ってみせる。
「分かっているな、貴様」
「何だ?俺を試したのか、お前…」
「貴様が単純な馬鹿でないことは分かった」
「何でも人を馬鹿扱いするのは良くないな。
俺の働きかけがあって正則が東軍にいるようなものだ」
「そうか、あの日の福島の決意は貴様の催促によるものか」
忠興は伏し目がちに話す。
二人だけで会話を進めるので高虎が突っ込んだ。
「おいおい俺にも話を振ってくれよー」
「ん、何の話をだ?」
「ちょ、やめてくれそういうの!」
忠興の即答に高虎は笑いながらも焦った。
長政が笑う。
「いや、高虎の情報収集も中々のものだとは思うが」
「そう思うか?そう思ってくれるのか!」
「ああ。でも、調略は負けないよ」
長政も立ち上がる。
「さ、俺もまたしばらく気晴らしにでも出かけるかな」
忠興も立ち上がる。
「こんなに暇を持て余すくらいなら刀の手入れでもすることだ」
高虎も立ち上がって言う。
「俺も散歩だ散歩!!」
三人はそれぞれの目的地へと足を進めた。