タイムスリップ物語 29

「――――舞!?」

隼人が戻って来た時、既に舞の姿はなかった。
「おばちゃん!ここに座ってた娘を知りませんか?」
隼人は茶屋のおばさんに尋ねる。
「そうだねぇ…ついさっき、数人の侍達に絡まれてたけど…」
「侍に?」
隼人の頭に不安がよぎる。
「どんな侍だったか覚えてませんか?」
「どんなって言われても…はっきりとは見ていないよ」
「どこへ行ったか分かりませんか!?」
「うーん…あっち、だったかしら」
隼人はおばさんが指差した方角へ走り出した。
隼人が戻ってくるのが遅かったのは、道で困っているお年寄りの
手助けをしていたからだった。
「(ヤバいな…もし西軍の武将だったら…)」
これまでにない緊張が走った。
東軍の武将に絡まれるのと西軍の武将に絡まれるのとはワケが違う。
徳川家に仕える隼人にとって西軍は皆敵。
隼人自身がそこへ向かうことも危険であった。
「くそ…っ!」
隼人はひたすらに走り続けた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

一方、舞は小西行長の陣所に連れて行かれた。
陣幕の中で、行長は大将の座に腰を下ろし、舞の左右に兵士をつけた。
舞は縄で縛り付けられていた。
舞は不安だったが、清正の時の経験があるため、泣かなかった。
もしかしたら隼人が助けに来てくれるのではないかという、
頼る者のいる希望を抱えて…
舞は真剣な顔つきで行長を見上げる。
行長の表情は優しく、何を考えているのか全く読めなかった。
行長は問う。
「率直に訊こか…君は、加藤清正の知り合い?」
先程行長に言われた通り、舞は素直に答える。
「…はい。さっきは嘘をついてすみませんでした」
「どないして嘘ついたの?」
「それは…貴方が反応したからまずいこと言ったのかと思って」
「君は清正の何や?」
「以前、私が大坂の町で迷子になり一人で彷徨っていた時に、
声をかけてくださったのが清正さんでした」
「ふうん…それだけかいな?」
「私には身寄りがなく、あの日大坂にある清正さんの
お屋敷に一晩泊めさせてもらいました」
「清正が大坂におったんはいつ頃や?」
「えっと…7月の頭くらいでした」
「7月…?」
行長は首を傾げる。
「清正がその時期に大坂?何でや」
「それは知りません。大した理由ではなさそうでした」
「…清正とはそれっきりなん?」
「はい」
「清正と通じとるわけとちゃうんやね?」
「通じてる?」
「せや…間者みたいなヤツ」
「…私は、何も知りません。恩があるだけです」
「さよか…ま、間者か訊かれてはいそうですと答えるアホも
おらへんし…」
行長は顎に手を当てて黙り込んだ。舞も黙っていた。
しばらくの間沈黙が続いてから、行長は落ち着いた声色でこう言う。
「君があそこの茶屋におったんは偶然ってことやな…?」
「はい」
「今も一人で過ごしとるんか」
「…いえ、今は…頼れる人がいます」
「あの村におるんか」
「多分…今頃、私のこと探してると思います」
すると行長は突然クスクスと笑い出した。
「何や僕、人さらいしてしもた感じですわ…
堪忍なぁ、お嬢ちゃん」
そして縄を解いた。
「もう…いいんですか?」
「もちろん」
舞はやっと解放されるのかと思ったが、緊張は取れなかった。
何故なら今の話が舞の全てではないからだ。
舞の信頼する連れ人・隼人は徳川の人間。
更に自身は今まで東軍の諸将達と行動を共にしてきたのだ。
こんなことまで、彼に言えるはずがない。
もし言ってしまったら、確実に悪いことが起きる。
幸い行長は清正について言及するだけだった。
しかし舞は、行長に会ってみたくもあったのだ。
清正が嫌う人物とはいかなるものなのかという好奇心に従って…
舞は一つ、行長に質問をした。
「あの…小西さんは…どうして清正さんのことが嫌いなんですか?」
行長はきょとんとしてこちらを見る。
「ん?僕アイツのことが嫌いとかゆーた?」
「あ、いえ…噂で、そう聞いたので…」
「百姓間でも噂になるほど有名なんか、僕とアイツの不仲」
行長はオカシクてたまらないといった顔をしている。
「せやなぁ…嫌いっちゅーたら嫌いやし、確かに清正の存在は
僕にとって邪魔やんな。僕が左と言えばアイツは右を選ぶ。
そんでもって超絶おせっかい!肝心なところで鈍感!
僕への悪口は欠かさへんしクソ餓鬼やしホンマ腹立つ」
「そ、そうなんですか」
舞にとっては非常に頼もしくしっかり者の清正が、
本当にそのような人物なのか俄かには信じ難かった。
あまりにもイメージとかけ離れているので少し反論してみた。
「で、でも…清正さん、そんな嫌そうな人には見えません」
「君にとっては…やろ?僕や三成はんにとっては別人。
今こうして戦が起こっとるんも、僕や三成はん、清正らとの間に、
深い溝ができてしもうたからやで。そんで徳川家康は上手くその隙に
入り込んだ。家康は、加藤清正福島正則といった、
僕らと仲が悪い豊臣恩顧の武将を尽く味方に取り込んでしもた。
天下は真っ二つに割れてもうたんや。これが今の現状やさかい…」
舞は東軍で聞いた似たような話を思い出した。
「(やっぱり…喧嘩も原因なんだ…)」
行長は続ける。
「せやけど、僕…この戦に勝てる気がせえへんねん…」
「え?」
「敵の大将はあの徳川家康…天下一の実力者…
三成はんも、中々恐ろしい相手と戦おうとする」
そこで舞は歴史を思い出す。
「(そうだ…このまま…戦いが起こったら…石田さんの味方の
小西さんも、負けちゃうんじゃ…)」
行長が寂しそうな顔をしている間、舞は心の葛藤を続けた。
「(私は知ってる…この人達がこれからどうなるのか…
詳しいことは分からない。だけど、良い結果じゃないのは知ってる…)

東軍諸将と共に過ごしていた時とは全く違う感情が結を支配する。
今目の前にいる人達は、歴史の敗者である。
「(小西さんや石田さんは…戦いに負けてどうなるんだろ…)」
そこまでは歴史の授業で習っていない。
しかしきっと、不幸な結果に終わるのだと思った。
行長は無言を破った。
「さ、はよお帰り。道が分からんかったら、家臣に案内させるで」
「……小西さん」
「ん?」
「生きてください」
「……はよお行き」
行長は優しく微笑んだ。どこか切なげであった。
舞は陣所を出た。
そこで丁度隼人を鉢合わせる。
「舞!」
隼人は胸を撫で下ろした。
「良かった……で、舞…ここは誰の陣所だ」
「…小西行長さんの陣所」
「!!マジかよ…」
「あ、でもほら…大丈夫だったよ。最初は怖かったけど、
小西さんも、良い人だったよ」
「何で連れてかれたんだ」
「ちょっと私の不注意で…」
「と、とにかく無事で良かった…心臓止まるかと思ったぜ」
「来てくれてありがと」
「…ああ」
それでもまだ舞には複雑な思いがあった。
舞は思いついた。
この思いつきを隼人に伝えるか否かで迷っていた。
もし伝えれば、隼人は全力で舞を引き止めるだろう。
だが…
「……隼人君」
「どうした?」
「私……石田さんに会いたい」
「はぁ!?」
隼人は絶句した。
目を丸く見開いて、舞の言葉を疑った。
「お前…何考えてっ…」
「石田さんに、伝えたいの!」
「…お前、戦の勝敗を知ってるんだろう…未来を変えるつもりかっ」
「私は…」
舞は覚悟を決めた。