タイムスリップ物語 32

8月下旬…
伊勢に駐屯する小西隊のもとに他の西軍部隊がやってきた。
その者の到着を知るや、行長は出迎えに行った。
舞はしばらく小西隊の陣所内で待機していたが、
やがて、行長がその西軍の人物らしき者と共に戻って来た。
行長の隣に並んでいたその人物は、行長よりも一回り歳若で、
黒髪容姿端麗、品のある男だった。
その男は行長の陣所で舞の存在に気づき、
身長が足りないからか少し背伸びをして行長に耳打ちした。
すると行長は首を横に振って、何か弁解している様子だった。
舞は少しドキドキしていたが、やがて行長が男を紹介した。
「この御方は備前岡山57万石を領する、
かの太閤殿下の御猶子でもあり、
此度の戦において西軍の副総帥となった、
宇喜多備前中納言八郎秀家様や」
舞は上手く聞き取れなかったが、男は手短に言い直す。
宇喜多秀家じゃ。其の方、何と申す」
男の名は宇喜多秀家。そういえば先日、行長が自分の経歴を話した際に
宇喜多家のことを話していたような気がした。
「あ…はい!相原舞です」
「ふぅむ……この、出自不明な女子が三成との面会を
求めておるとはのう…よくもまぁ許したな?行長…」
秀家は行長を横目で見やる。
「別に危害を加えそうな感じやあらへんし、
たとえこの子がどうなろうと、僕は知ったこっちゃありまへん」
行長の態度に舞は時々不安を覚えたが、
凛々しい容姿の秀家をつい何度も見返してしまう。
その様子に気づいたのか秀家も、
「何じゃ。儂の顔に何かついておるのか?」
と訝しげに訊いた。
「あっ…すみませんでした」
舞は慌てて頭を下げる。
なんとなくであるが、この秀家という人物は
行長よりも身分が上の人物であるような気がした。
行長も彼に一目置いているようだし、それならば自分は一層
気をつけねばと思った。
秀家は会話を一転させて行長に戦況報告をしだした。

西軍の副総帥にあたる宇喜多秀家の部隊は、
伊勢長島の城を攻囲していたという。
三成からの大垣城集合要請を受け、ここまで進軍したらしい。
秀家は呆れながら行長にこう言った。
「お主はとうに大垣へ到着しているものと思っておった。
何をこのような場所で、道草食っておる…」
「このこと、三成はんには黙っといてもらえまへん?」
「知られたくないのか」
「隠し事はあらへん。ただ……」
「……ふっ…仕方ないのう。
昔からの誼(よしみ)じゃ、今回は秘密にしてやる」
「おおきに〜秀家様ぁ」
舞はその様子に滑稽に眺めていた。
そして、秀家は置かれた椅子に腰掛ける。
「ふぅ」
秀家は息をつき、行長に話しかける。
「敵の様子で何か変わったことはないか?」
「つい先日、福島正則池田輝政を先鋒とした部隊が二手に
別れて岐阜城へ向かい、23日にも開城させたとの報せは入っとります。
それに遅れを取った黒田長政藤堂高虎田中吉政らの部隊は、
岐阜城の落城を見る前に大垣方面へ進出したとのこと…」
「ふむ…それで、三成に新たな動きはあったか?」
「はい。一度大垣城を出て、東軍と軽く一戦を交えはったらしいん
ですが、守備隊が粉砕されたために城へ撤退し、一方の東軍は
大垣城付近の赤坂に集結して徳川内府の出陣を待っとるそうな…」
「それで?」
「三成はんは東軍が大垣城を攻める気配を見せへんことから
何かを察したか、一度佐和山へ戻り防備を固めたそうな。
それでも東軍に目立った動きはなく、今再び三成はんは大垣に
入ったと…」
そこまで行長が言うと、秀家は大きく溜め息をついた。
秀家は8月頭まで伏見城の敵と交戦していたためか、
この辺りの味方の詳しい情報は入手していない風だった。
「三成め…ちょこまかと動きすぎじゃな…」
「……」
「まるで東軍に振り回されておるようじゃ。周りの者は何も言わぬのかのう?」
「さぁ…」
「三成に会ったら儂からも言っておかねばならぬな。
どっしり構えておれと」
「はぁ」
秀家は空を見上げた。
行長はその間一言もじゃべらない。
しばらくして再び秀家が言葉を発する。
「この戦が終わったら、豪と温泉にでも行こうと思う」
豪とは秀家の正室(妻)である。
「ははぁ、有馬の温泉にでも行かれるおつもりで?
せやけどまだ勝敗は着いておりまへんよ?」
「行長…お主は負けたいのか」
「勝てたら嬉しいですなぁ」
「言葉を濁すな。勝つと誓え、誓うのじゃ」
そんな二人のやりとりを見て、舞は切なくなった。
そうだ、この二人は石田三成と同じ西軍。つまり負けるのだ。
それを知っていることは、真に辛いことだ。
伝えることすら憚られるのも、堪え難い。
しばし、二人の会話が続いた後に、秀家は席を立つ。
「儂は軍の準備が整い次第、大垣へ向かう。行長、お主も
できれば今日中に伊勢を発て」
「…はぁ」
行長は浮かない顔をして答える。
最後に秀家は思い出したかのように舞の方を見る。
「娘、お主もある程度の覚悟はしておけ」
「は、はい!」
「お主が一体何を企んでおるのかは知らぬ。儂も言及する
つもりはない。じゃが、我らにとって有害かつ不利益な存在と
見なされれば、三成はそれ相応の処分をお主に言い渡すであろう」
「……」
「お主が三成に会いに行くということは、
戦場へ赴くということ。良いな?」
「はい」
秀家は行長に顔を向ける。
「では行長、また…後ほど」
こうして秀家は陣所を去った。舞は呆然と立ち尽くしていたが、
行長の声かけにやっと反応する。
「お嬢ちゃん、いつでもここを出発できる準備をしとき」
「あっはい」
行長は控えていた家臣に指示をした。
行長の後姿が少し物悲しく見えたのは気のせいだろうか。
それからまもなく、小西隊はここを発った。