タイムスリップ物語 37

関ヶ原における東西両軍の陣形は、西軍が圧倒的優位にあった。
後世、明治政府の軍事顧問として来日したドイツのクレメンス・メッケル少佐は、
関ヶ原の合戦布陣図を見て即座に西軍勝利を断言したという。

西軍の布陣を、【鶴翼の陣】といった。
鶴が翼を広げて周囲の山や丘を制し、敵を内側へ追い込むといった
形になっている。
東軍にとって、これは死地であった。
東軍の総大将・徳川家康にはある程度の自信があった。
何故ならば、西軍の南宮山に布陣する吉川は既に東軍と内通しており、吉川が不動を貫けばその後ろに布陣する毛利隊も動けないからだ。
だが、家康は短期決戦を望んでいる。戦が長期化すれば、西軍の総大将・毛利輝元
豊臣秀頼を奉じて出陣してくる可能性も否めないからだ。
これでは多くの豊臣恩顧の武将が属する東軍の士気が鈍る。

さて、戦闘態勢に入ってからおよそ2時間。
視界は濃霧に遮られ、小雨が降る中無言の睨み合いが続いた。
午前8時前…霧が徐々に晴れ、視界は広がった。
その刻限に、東西両軍の最前線に向けて密かに移動する部隊があった。
その部隊は全身赤色の甲冑を纏っている――――井伊の赤備えだ。
井伊直政が、家康四男の松平忠吉を連れて東軍先鋒の福島正則隊の脇を
通過した。それに気づいた福島隊の将・可児才蔵という男が見とがめる。
「本日の先鋒は福島左衛門大夫(正則)が承っている。抜け駆けは軍法違反でござろう」
直政はこれに対処した。
「我々は、物見に参ったまで。下野公(松平忠吉)は此度が初陣なりて、この機会に是非とも
戦の形勢や始まりの見物をしていただき、後学になしたまわんと
するまで。決して抜け駆けなどではございません」
しかし直政の本心はこうだ。
此度の戦いはあくまでも豊臣と徳川の戦い。
その大決戦を豊臣恩顧の福島に切られたとあっては面目ない。
先鋒はなんとしてでも徳川一門の者が果たさねばならぬと直政は考えていた。
何とか福島隊を偽り言い聞かせた井伊隊は更に前進。
そして突如、井伊隊は前面の宇喜多隊に向かって発泡した。

パンッ―――――――!!!

「!!」
こうして重苦しい空気を突き破って戦いの火蓋は切られた。
9月15日午前8時頃のことである。


「抜け駆けしやがったな!?」
銃声を聞いた福島正則は怒りをあらわにし、すかさず鉄砲隊を指揮して前進、
宇喜多隊に一斉射撃を浴びせた。
これとほぼ時を同じくして、東軍の黒田長政隊や西軍の石田三成隊、
小西行長隊から相次いで狼煙が上がる。戦闘開始の合図である。
両軍は大喊声を上げて突撃を始める。
まず福島正則隊と宇喜多秀家隊が正面衝突した。
それに続いて黒田長政隊・細川忠興隊・加藤嘉明隊などが石田三成隊へ殺到。
藤堂高虎隊などは大谷吉継隊とその支隊へ突撃。
井伊直政隊・本多忠勝隊らは島津義弘隊へ激突。
その他織田有楽隊や古田織部隊などは小西行長隊へ。

およそ1時間が経過した午前9時頃…
この時点で戦闘している西軍の部隊は
中央の石田・小西・宇喜多・大谷といった3万2千6百ほどに過ぎない。
小早川や吉川毛利は依然として動かない。
東軍の半数に満たない兵力で戦場を優位にもっていくのは並のことではない。
戦闘中の西軍諸隊の覚悟が伺える。
中でも最大の激闘を見せたのは石田隊だ。
三成がいるこの部隊には複数の東軍諸隊が攻めかかっている。
西軍の事実上指揮官にあたる三成は特に狙われている。
おまけに、石田隊に攻めかかる部隊はとりわけ三成に対する憎悪の年が深い。
これらの部隊はすさまじい集中攻撃を石田隊にかけた。
しかし石田隊は一歩も引かない。
自軍の3倍もの兵力差をものともしない。
石田隊の将兵卒は皆、三成のために必死だ。
三成に過ぎたる者と言われた島左近も、突撃してくる敵を散々に翻弄した。

「…このままでは!」
黒田長政は焦りを見せた。
思った以上に笹尾山の石田隊が手ごわい。
正面突破は困難だと判断した長政は、石田隊の左翼に鉄砲隊を密かに
迂回させた。
そして島左近隊に一斉射撃を加えた。
この射撃により、左近も被弾し、後退を余儀なくされた。
「左近!」
怪我を負った左近のもとに三成が駆け寄った。
「左近!しっかりしろ!!」
左近は意識朦朧としている。
三成はこれにより勢いを増した敵陣の方をキッと睨みつけた。
「おのれ…っ」
石田隊の前線が崩れだしたその時…

三成とっておきの秘密兵器が轟音を上げた。