タイムスリップ物語 43

9月20日徳川家康が大津城に入ったとの報せが入った。
大津城城主は京極高次といってお市の次女・初の夫であった。
彼は元々は西軍であったが、
大谷吉継が美濃の方へ転進した際に突如東軍へ寝返り、
3000の兵を率いて大津城に籠城したのだ。
これに対し西軍は毛利元康・立花宗茂らに大津城を攻めさせた。
京極高次は必死にこれを防いだが、力尽き、
9月15日に開城した。
その5日後に、家康が入城したのだ。

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結達は大坂を出て、播磨、そして備前へと…ただひたらすらに歩いた。
ここまで休むことなく歩き続きたのは結にとって初めてのことだった。
だがやむを得ない。
畿内にいるほど危険なのだ。
備前まで来て、宇喜多秀家は何度が踏みとどまった。
ここは宇喜多秀家の故郷であり、領地だからだ。
だが、岡山城に残した宇喜多のわずかな兵は西軍大敗の報を聞き、
散り散りになって逃げたという。
今城に戻ってももぬけの殻に違いなかった。
秀家は苦笑した。
9月24日のことである。関ヶ原の合戦より一週間以上経った。
そこで結は三成のことを思い出した。
「石田さん…今頃どうしてるんだろ…」
三成は必ず再挙すると言った。だが、あの強情そうな
淀の方という女性の顔を結は思い浮かべた。
淀の方についても結はあまり知らない。
だが、あの人が動かなければ三成も動きにくいのが
結にも何となく分かった。
「きっと石田さんなら、大丈夫だよね…」
そう言いかけた時、横から行長は息を吐くように笑った。
「(…小西さん?)」
正直行長は三成の再挙が叶うとは思っていなかった。
三成の真剣な眼差しで見つめられた時は可能やもしれぬと
思ったが、やはり今の状況を見る限り無理だろうと思い改まった。
行長は知っている。どんなに努力しても叶わない望みが
あることを知っている。自身の知恵を振り絞って臨んだが
結果的に全て気泡に帰した朝鮮でのあの苦心を思い出していたのだ。
だがそれを結や秀家の前で言うのは避けた。
二人はこんなにも前向きなのに、自分ときたら…
行長はそう思わずにいられなかった。

しかし、三成はやってのける男だった。
まず、毛利輝元を説得した。
大坂で東軍と対峙するとなれば、動かぬわけにはいかない。
それから二人揃って淀の方を説得した。
淀の方はようやく重い腰を上げた。
秀頼を厳重な警護のもと城から出すことになった。
この時豊臣秀頼は数え年8歳だった。
肌は白く、まだ幼いが凛々しい顔つきをした少年だった。
そんな秀頼の出陣に真っ先に動揺を見せたのは福島正則だった。
現在東軍は大津にいた。
正則はそれ以前から心に迷いを抱えていた。
このままで良いのか?そう、思い悩み続けていた。
正則の動揺をいち早く察した黒田長政は再び正則を言い聞かせる。
だが、正則の心はもうそこになかった。
長政は徳川家康に相談した。
三成が大坂城にいるという情報が入った後だったので、
より正則に対し警戒を怠らないよう長政は頼まれた。
東軍は大坂にいる三成が西軍総大将の毛利輝元を説得し
秀頼を擁したということを昨日知らされたばかりだ。
22日、正則は加藤嘉明浅野幸長を呼んで密談を始めた。
「…三成が、秀頼様を擁したと聞いて、俺は、
これ以上戦うことができない」
正則は俯きがちにそう言う。幸長が返す。
「治部は汚いマネをします…秀頼様をも道具として
利用しているのが、一目瞭然です」
「…ちっ」
正則は舌打ちした。しかし心のどこかで、妙なざわめきがする。
「それでも俺ぁ、秀頼様とは戦えねえ…
これからどうしたらいい…?」
正則は古くからの友人たる嘉明に救いを求めるような目で訊いた。
だが嘉明は直接答えようとはしなかった。
嘉明はこの密談を誰かに聞かれている可能性を危惧した。
だから少し間をあけてから
「己の心に問うてみよ」
と、右手を左胸に当ててからそう言った。
「己の…心……」
正則も右手を左胸に当てた。

やはり、この密談を盗み聞いた者がいた。
藤堂家の忍だった。
忍は藤堂高虎にこのことを伝えると、高虎は
家康のもとに行ってそのままを伝えた。
ここでも家康は、警戒を怠るなと指示した。
家康は直接手出しはしなかった。
そして、今後の予定を皆に告げることはなかった。
特に正則は東軍勝利に大きく貢献してくれた人物の一人だ。
迂闊に手は出せない。
この日、高虎は長政に会った。
互いに正則らを監視する役目を負っている。
一室で、高虎は今後について長政と談義する。
「先の関ヶ原では俺達が勝った。だが、まさか三成が
追っ手を逃れて大坂城に入っちまうとは思わなかった!
しかも、秀頼様を擁してこちらの動揺を誘っている。
内府殿はまだ何の指示をくださらねえ。
俺達これからどうなるんだ、なぁ?」
高虎の口調はおどけているが顔は真剣だった。
長政もこれから先のことは検討もつかない。
「分からない…」
「そういやぁお前さんの親父殿…九州でご活躍中だそうで」
「ああ」
「東軍のために、か…」
「…お前、何が言いたい」
「ん?いやぁ…深い意味はねえよ」
これには長政も冷や汗をかいた。彼の父・黒田如水
長政にも考えつかないようなことをやってみせる野心家だった。
このまま何事もないのを願うしかなかった。
「それより、今話し合うべきは正則達のことだ」
「ああそうだ」
高虎は顎に手を添える。
「…んで、俺んとこの忍によると、正則は相当まいってたそうだ。
幸長も何しでかすか分からねえ様子だった。
嘉明は、どうだかな」
「あの3人が万が一三成方に寝返ったらまずい」
「いや…三成自身に味方するとも思えねえがな…」
「そうだろうか」
「三成に味方するっていうよりは、秀頼様のもとに
馳せ参じるといったところか」
「…その地点で俺達の味方でなくなるのは確かだ」
長政は断言した。必死な様子で強く言葉を続ける。
「そもそも、三成が大坂に逃げ込む前に捕まっていれば
こんなことにはならなかった。そうだろ?」
「まあな」
「三成だけじゃない。西軍の誰一人、見つかってないじゃないか」
「ああ」
「おかしいと思わないか?落ち武者となった彼らにそこまで
行動力があるとは思えない。彼らの近習が手助けをしたから?
いや、俺はそうは思わない。彼らがいつまでも家来を連れて
逃げるとは思わないんだ。迷惑をかけまいと、あるいは一人の方が
目立たぬと言って、一人で行動するはずだ。俺は思う。その後、
三者の手によって遠くへ逃げ延びたのではないかと」
「第三者…ねえ?」
高虎は顎を指でさすった。
「仮にその、第三者がいたとして、誰がそんなことを」
長政の発言はすべて憶測に過ぎぬと、言いたげな態度で
高虎は笑い返した。



「考えられなくもない」

突然、二人のいる部屋の麩が勢いよく開かれた。
高虎と長政が驚いて顔を上げると、そこに立っていたのは
細川忠興だった。
「忠興お前っ…盗み聞きしていたな」
長政が睨み返すと忠興は鼻で笑い返す。
「ふん…別に良いではないか。仲間だろう?」
「……」
長政が溜め息をついている間に、高虎が忠興に尋ねた。
「何だい?何か、思い当たることでもあるのかい?」
「思い当たるというよりは、黒田と同じ憶測だ」
忠興はスっと腰を下ろしてニヤリと笑った。
「まぁいい、話してくれよ、その、お前さんの仮説を」
高虎は耳をかたむけた。
長政も渋々聞く姿勢になる。