タイムスリップ物語 44

「…で、お前さんの仮説による第三者ってのは?」
「あの女だ」
「あの女?」
高虎は聞き返した。
「誰のことだよ」
「まだ記憶に新しかろう…関ヶ原より前、江戸から清洲まで俺達と
同行した奇妙な女がいただろう」
「それって…あの…」
高虎が思い出しかけた時、長政は否定した。
「何故そうだと言い切れる?あの娘御が石田方に通じていた証拠も
ないというのに」
「あくまで憶測だと言ったはずだ。確信はない。
だが…俺は8月に、あの女と福島が話をしているところを見た」
「8月…?」
「江戸から西上して小田原に泊まった時のことだ。あの女は
福島にこう訊いたのだ。『石田三成が嫌いなのか?』と」
「……」
長政は忠興が単身で行動しこれほどの情報を掴んでいることに
驚いていた。そして、息を殺して忠興の言葉を待つ。
「石田のことを訊かれた福島は、女に訊かれてもいない
ことまで話して、勝手に泣き出した。あれが正直まずかったと思う。
福島の発言の中身はまさに後悔そのものだった。まるで、昔に
戻りたいとでも言いたげな、真に不注意な発言であった。
あれを聞かされた女も動揺していた。ここから先は完全に
俺の推測だが、あの女がもし福島に感化されて、生意気なことに
どうにかしてやれないものかと考え行動したとしたら…」
「!」
高虎と長政は息を飲んだ。忠興は続ける。
「あの時女が清洲で別れたのも得心がいく」
「だがあれは…娘御の本来の目的地たる大坂へ行くために途中まで
俺達と同行していただけだと井伊殿から聞いたぞ…」
「表向きはそうだろう。確かにそれも含んでいたに違いない。
だがもし、大坂へ向かう途中で気持ちが変わったとすればどうだ?」
「それは……」
「ま、憶測は憶測だ。とにかく石田が大坂まで逃げ込んで
しまったことは事実…これだけはどうしようもないな」
忠興は深く息をついてから楽な姿勢をとる。

「もし、本当にそうだとしたら、隼人はどうしたんだ…」
高虎が呟く。
「あの娘の護衛をした隼人は徳川の家臣だぞ…
隼人なら絶対娘にそんなマネはさせないはずだろ」
高虎の発言に対し忠興が即座に答える。
「最悪西軍に加担した可能性も否めない」
「っ!」
「おい、忠興!言いすぎだぞ」
長政が忠告した。
「ふん」
その後3人はしばらく部屋の中で時間を無意味に費やしていた…

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9月27日…
噂の結達は備後(現在の広島県東部)まで来ていた。
ここへ来るまでに、結達に新たな仲間が加わった。
明石全登である。
彼は宇喜多家の家臣で、秀家と共に関ヶ原で戦った者だ。
関ヶ原から秀家を逃がした後、自身も何とか岡山まで
逃げたという。岡山城には兵がほとんど残っておらず、
途方に暮れていたところ主人・秀家と再会を果たしたのだ。
秀家にとってこれは喜ばしいことであった。
また、明石は熱心なキリシタンでもあった。
そのため同じキリシタンである行長も、彼との仲間意識が芽生えた。
更に、大名である秀家と行長の護衛が一人増えたことにもなり、
これは隼人もありがたかった。

30日には周防(現在の山口県南部)まで到達していた。
「もうすぐだ…長門(現在の山口県北部)の海岸まで出たら、
舟で豊前小倉まで進みます」
隼人は左手を額にあてて遠くを見渡した。
結は隼人に尋ねる。
豊前小倉ってどの辺り…?」
「北九州の先っぽかな」
「ついに、九州か…」
結は未来でも九州に行ったことがなかったので、
少しわくわくしてしまう。
「九州っていったらやっぱり博多とか」
「ああ、博多もあるよ。博多は通過するだけだがな」
二人の会話に秀家が割り込んでくる。
「北九州では黒田如水が13日にも石垣原で大友の軍勢を
破ったと聞いた。その勢いで豊後の制圧にかかっておるそうじゃ」

黒田長政の父・黒田如水は、これまでに蓄えていた金銀米穀を
放出して大軍を募兵した。
それから、中立に近い立場を示していた熊本の加藤清正と連絡を取り、
東軍への積極的加担をすすめた上で、
如水は豊後へ進軍した。如水にとってこの豊後は、
黒田家自衛のためにも、また自身の“野望”のためにも非常に
重要な地であったのだ。
9月13日、石垣原の戦いで大友軍を撃破した如水は、15日にも
大友家当主・大友義統を降伏させた。
以後も如水は迅速に動き回り、豊前豊後の各城を次々と攻略していった。

秀家は警戒するよう呼びかけた、更に行長に一言付け加えた。
「この様子では、加藤清正も既に宇土城を攻めておろうな」
「……はい」
結達はまだ知らぬが、21日にも加藤清正宇土へ進軍していた。
宇土城には行長の弟・行景がいる。
行長は心配であった。九州に逃げたら、そのまま宇土
駆けつけようとも内心思っていた。
「僕、宇土へ戻りますわ」
「行長…」
先頭を行く隼人も振り返った。
宇土に残した弟や妻子、家臣達を、
ここまで来て見捨てるなんて出来ひん」
「そうか…」
秀家は引き止めない。行長の発言は最もであるからだ。
そこで秀家は胸を拳でトントンと叩いてみせた。
「ならば儂も行長と共に宇土へ参ろう!」
「!」
行長は細い目を見開いた。
「そんな…秀家様まで…」
「良いのじゃ。その代わり、死なぬと約束せよ。
今頃大坂では三成が頑張っておる。儂らもまだ、
命運は尽きておらぬ。…なに、相手は清正じゃ……
頑固じゃが話くらいは聞ける男だと思う。のう、娘」
秀家は愕然としている結に話を振った。
「え……えっと…」
つまり、清正が話し合いに
応じるかどうかということであることを秀家は結に尋ねたのだ。
結は頭の中で整理してから、
「はい」
とのみ答えた。
行長は不安げに言う。
「清正と、和平を結べと、そう、おっしゃりはるんですか?」
「そうじゃ」
秀家ははっきりと断言する。
行長にとって和平は一種のトラウマであった。
失敗を恐れている。戸惑う行長の背中を、結が押した。
「小西さん」
「?」
「きっと出来ます」
「……」
行長は胸に垂れ下がった十字架を手に取った。
「(これは、神から与えられた最後の試練なんやろか…)」

“交渉は最善の手段だとは思わないかね?
熱い言葉が多くの命を救うのだぞ”

行長は、その昔誰かから言われた言葉を思い出す。




「………っ」


胸に、十字を切った。