タイムスリップ物語 45

9月29日…ついに、徳川家康は動いた。
大津城を出て、大坂城へ向かうよう諸将に指示した。
これには福島正則らが苦い顔をした。
戦いたくなかった。

一方、大坂城石田三成も東軍の動きを知って
毛利輝元と共にどっしりと構えた。
輝元は、三成に問うた。
「戦に勝利し勢いづいた東軍と、本気で戦えるのだろうか」
三成は、横に首を振った。
「これ以上血を流すつもりはありません」
「…では、どうするつもりで」
「秀頼様は、あくまで豊臣の象徴として御出陣いただいたまで。
その下で、俺は、家康と話し合いがしたいのです」
「なっ…何を今更!この状況で、しかも貴殿は敗将の身…
家康が話し合いに応じるとは思えん」
「やってみなければ分からぬ」
「いや、やる以前から結果は見えている。もし、治部殿と家康の
立場が逆であったなら、貴殿は、負けた家康と話し合って許すのか?」
「そうです」
「!」
「もし俺が関ヶ原で勝っていれば、東軍の誰一人、殺しはしません」
「……だが、家康が貴殿と同じ行動を取るわけではないぞ」
「ええ。ですが、俺は、賭けたいのです…
勝手に戦まで起こしておいて、しかも負けて、非常に、
身勝手で都合の良い話だとは思います。
話し合いで解決したいのなら、何故、
初めからそうしなかったのだと…お責めになるでしょう。
私も元々は、そんなこと、するつもりはありませんでした。
ですが、それでは本当に、何も得られぬままではないかと…
そう、思ったのです」
「…治部殿」
「家康は馬鹿ではない。両手を上げた俺を、有無も言わさず
斬り殺すような人物ではない。お願いします毛利殿…
この三成に、今一度、機会を…」
輝元は首元に片手を当てながら、うんと頷いた。
「好きにしてくれ。その代わり、失敗したらどうする」
「今は、良い結果を望むまでです」
三成は天守から大坂の城下町を見下ろした。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

10月2日…東軍は大坂城付近まで進軍し、駐屯した。
大坂城天守から見えるところまで来ていた。
「いよいよ…だな」
三成がそう思っていた時、人がやって来た。
「石田様、徳川の御使者が参っております」
「使者?」
「石田様にお目通り願いたいとのこと…」
「分かった。通せ」
「はっ」
すぐに使者とやらはこちらにやって来た。
三成は立ったまま使者に聞く。
「何用か」
「はっ…徳川内府様より文を授かって参りました」
使者は懐から文を取り出し三成に差し出した。
三成は文を開いて読んだ。
使者が三成のもとに参ったと聞いて毛利輝元も駆けつけて来た。
「治部殿、文には何と…」
文を持つ三成の手は少し震えていた。
そして、今にも飛び上がりそうな様子で答える。
「家康から、話し合いを申し出てきた!」
「何と…」
「これは思った以上に事が上手く進むやもしれませぬ」
「…で、話し合いの場はどこで?」
大坂城内で執り行いたいとのこと…」
「それならば、今すぐにでも」
「それがよろしいでしょう。使者よ、今すぐ談合を行いたいと伝えてくれ」
「はっ」
使者はすぐさま東軍本陣へと引き返していった。

それからしばらくして、東軍側から人がやって来た。
三成は一室を設けて待っていた。
そして、部屋に入ってきた者の顔を見た。
徳川家康本人と、その護衛の本多忠勝がやって来たのだ。
家康は与えられた席に座るなり、朗らかに笑いながら、
「石田殿が大坂城におると聞いて、驚きましたぞ」
と言った。だが、目は笑っていない。
三成も落ち着き払って冷静に答えた。
「貴方と、今一度話がしたいと思うておりました」
「そのために、大坂まで命からがら逃げましたか。別にここ大坂でなくとも
この家康、話くらいいくらでも聞いて差し上げましたがの」
「……」
大坂城にまで逃げ延びたのは、毛利殿と共に再挙し
我らにもう一度戦を挑むためではなかったのですかな」
家康は容赦なかった。
三成の行動の不明な点を、一つずつ挙げて、追い詰めようとした。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

その頃、結達は九州の小倉まで舟で行き着き、
5日にも筑後(現在の福岡県南部)の山道を歩いていた。
ここまで来れば、肥後はもうすぐだった。
「もうじき、肥後国に入ります」
先頭を行く隼人は後ろに続く結達に伝えた。
「熊本…か…」
結にとっては初めての九州、そして熊本県だった。
そして7日、とうとう肥後国に足を踏み入れた。
南方に大きな山が見えてきた。
秀家が山を一望して言う。
「あれが阿蘇山じゃな。前に見たのは九州征伐の時であったか」
阿蘇山…」
結も阿蘇山は知っている。熊本県にある、活火山だ。
広大なカルデラ地形をしており、未来では有名な観光地の一つだ。
秀家の家臣の明石は見惚れながら、
「まっこと、火の国であられますなぁ」
と言った。まるで観光にでも来たかのような会話をしているので、
結は思わず微笑んだ。
至って真面目な顔をしているのは、隼人と行長だ。
行長はここまで来て秀家に一つ申し出た。
「秀家様、やはり…貴方はこのまま薩摩までお逃げ下さい」
「何じゃと?」
秀家は目を丸くして唖然としている。
「一緒に参ると申したであろう?今更言葉を撤回するつもりはないぞ」
「いいえ。肥後の事情は僕とアイツの問題やさかい…
秀家様には関係のないことだと思いました」
少し落ち込んだような表情で、秀家はうつむいた。
行長は気まずそうに続ける。
「別に僕は、秀家様が邪魔やとは思っとりまへん。むしろ感謝しとります。
秀家様がいなかったら、僕、きっとここまで来れへんかった。
会えるとも思うとりまへんでした。ホンマに、感謝してまっせ」
行長は続ける。
「だからこそ、秀家様には、本来の目的を達成していただきたいんや…
僕かて肥後半国の大名。自分の国の問題は、自分でどうにかする。せやから…」
行長は頭を下げた。
すると秀家は愉快そうに笑い出す。
「はっはっは!…行長の申すこと、もっともである!」
「それでは…」
「お主の申す通りじゃ。儂のおせっかいであったな」
「いえ…」
「では、儂は薩摩まで参ろう」
「…おおきに、秀家様」
「うむ。じゃが、そこの娘!」
「!」
結は突然秀家に指を差されて肩がビクリとした。
「相原結であったか」
「お、覚えていてくださったんですね…」
確か名前を名乗ったのは、関ヶ原より前の、初めて会ったあの時だけだったはず。
「儂は一度名乗った者の名は忘れぬぞ。
儂はもう少し先で行長と別れ、この明石と共に薩摩まで行くが、
お主とその連れの者はこの先も行長についていくのであろう?」
それには隼人が返答する。
「はい。一応…宇土まで、護衛させていただくつもりです」
「ならば、行長のことは頼んだぞ」
秀家は行長と、隼人や結の顔を交互に確認した。
結と隼人もコクりと頷く。
しかし行長は困り顔のままだった。
行長は、結が自分に会うより前に、清正の恩をもらったことを知っている。
結達が九州へ行こうと誘ってくれた時もそうだったが、
やはり万が一のことがあっては申し訳なかったのだ。
それでも結達に迷いはない。
これはまだ戦乱の世の真の現実を知らない結の恐れ知らずから来るものなのか、
それとも相当の覚悟を持った上なのか…
行長には知る由もなかった。

一行は阿蘇山を横切り、熊本南部へ進んだ。
そこで秀家と明石は結達と別れ、まっすぐ薩摩へと向かった。
ムードメーカーでエネルギッシュな秀家がいなくなり、一行は若干静かになった。
行長の本拠地・宇土はもうすぐだ。
この辺の地理は行長の方が詳しいため、隼人は行長に教えてもらい
ながら先頭を進んだ。
10月9日、結達は宇土城近辺まで辿り着いた。
そこで結達は宇土領内の村人に遭遇した。
村人は行長の顔を見てアッと口を開けた。
「もしや小西様ですか?」
行長は頷いた。
「ああ!ようやく領主様がお戻りになった!」
村人は喜んでいる。
行長は落ち着いて宇土城の様子を訊いた。
すると村人は悲痛な表情を浮かべてこう話した。
「先月には加藤主計頭様の軍勢が宇土へ押し寄せて、つい今月2日にも
三ノ丸まで抜かれ、本丸・二ノ丸の攻防戦に入っているようです」
「!」
「ですが、城代の行景様はよくこれを防いでおられまする!
どうか、今すぐお戻りくだされ…!」
「言われずもがな…」
行長は遠方に見える宇土城を遠目で見た。
結もこれは緊急のことだと察し、急ごうと促した。

10月10日、ついに、宇土城間近まで到着した。
確かに激しい攻防戦が繰り広げられている。
木陰に隠れて、行長は様子を伺っている。
結が、小声で尋ねる。
「どうやって、お城に入りますか?」
行長は答える。
「いや…この乱戦状態の中、城に入るんは無理や…」
「じゃあ、どうするつもりで」
「戦を、一旦休戦させるしかないやろね…」
行長は敵陣の方を見る。
「…そのためには、直接、清正に僕の存在を知らせなアカンわ」
「!」
隼人が感づいたように行長に訊く。
「その役目を、俺達に頼みたいと…いうことですか」
「せや」
隼人は結と顔を見合わせたが、すぐに目をそらした。
結がどうしたのかと尋ねると、隼人はこう言った。
「加藤殿は、俺のことも知っている…」
そこまで言って、結もハッとした。


—————そうだ。隼人は正式な、徳川の家臣だ。


行長はまだ隼人の正体を知らない。だから、隼人が困惑しているのを
見て今更何だと言いたそうな顔をした。
単に迷い子である結の行動はまだしも、徳川家臣の隼人はまずかった。
隼人は改めて、自分の行為が徳川の裏切り行為に値することを認識させられた。
もし、このまま結や清正を通じて東軍にことことがバレたら…
どうなるのだろう…
一度は覚悟をした上であったが、やはり、今の自分の立場は相当
危険なものである。
だが、バレたとしたら既にもう手遅れであろう。
西軍の敗将達を守り、ここまで連れてきたのも事実。
今更迷っていたって仕方がない。
隼人は望みをかけた。
何としてでも、自分達は清正を説得し、大坂の三成は徳川を説得する。
それしか生き残る道はない。

心配そうな顔で見つめる結を振り返って、大きく頷いてみせた。
「やってやる。絶対、成功させようぜ」
精一杯笑ってみせた。