タイムスリップ物語 48

10月6日、昼過ぎのことだった。
福島正則隊と、浅野幸長隊が、東軍を裏切った。
初め、この二部隊は敵方に向かって突撃したため、
黒田長政を除く部隊はてっきり攻撃をしかけにいったものだと
勘違いした。
どうにもそうでないらしいと思った時には遅かった。
追撃をかけたが、間に合わなかった。
福島隊は黒田隊の攻撃により少し被害が出たが、戦闘開始時の
兵力を維持したまま逃げることができた。
浅野隊も損害は少ない。
大坂方も、最初は東軍の突撃だと思い迎撃したが、正則が
自軍の兵士達に、
「我らはこれより大坂方にお味方致す!」
と大声で叫ばせながら向かってきたため、すぐに攻撃をやめた。

三成は、大坂城のすぐ近くの外で東軍の諸部隊と交戦中だった。
東軍としては、この第二次戦を起こした三成さえ倒す、または
捕縛すれば良かったため、関ヶ原の時と同じように石田隊に殺到した。
そこへ、予期せぬ部隊からの援護は入ったのだ。
それが、福島正則の部隊だった。
石田隊に攻撃していた部隊は味方であったはずの福島隊の横槍により混乱し、
勢いが弱まった。
三成は同士討ちでも起こったのかという様子で立ち上がって
手前の戦場を見渡したが、先程の宗茂の言葉を思いだし、ハッとした。
「まさか…正則が…?」
三成の予感は的中した。
三成のもとに、その人物が堂々と姿を現した。
「!!」
黒鹿毛の馬に跨り、水牛の兜を被り甲冑を纏うその人物こそが福島正則であった。
「正則…!」
三成の陣中の者は警戒して槍を正則に向けたが、正則は気にせず下馬し
武器を捨て、三成のもとに歩み寄った。
正則に敵意がないことが分かり、三成も胸を撫でおろした。
正則は、固く口を閉ざして三成を直視しなかったが、
次の瞬間正則は大声でこう言った。
「豊臣を悪用せんとする三成憎しと動いた福島左衛門太夫正則で
あったが、俺はどうにも騙されていたようだ!」
「正則…」
「徳川内府殿の裏の本音など、馬鹿な俺には測り兼ねる!
そして三成、てめえの真意も分かったもんじゃねえ!
ただ俺は…豊臣家を守りたい。
だから今は大坂方にお味方致す。それでもし、三成も
天下狙ってるとしたら、そん時はてめえも俺が倒す!」
「…滅茶苦茶だな」
三成は苦笑した。正則の言葉ではまとまりがないが、つまり、
豊臣を脅かす存在は、この正則がその場その場で片っ端から
潰していくと言いたいのだろう。
もちろん、三成からすれば、潰されるべきは徳川ただ一人。
「俺は豊臣家を守るために、天下を狙う家康と、こうして、
ずっと戦ってきてるんだ」
「やっぱ…内府殿は天下を?」
「まだ気づかないのか?」
「……」
「だが、やはりお前の存在は大きいな。
豊臣の大いなる力となろう。これから頼むぞ」
三成は照れくさそうに笑ってみせた。
正則もつられて笑った。
「俺、まだやり直せるかな。
まるで豊臣に敵意を向けちまったようで、すげー申し訳ないわ」
「遅くはない。これから挽回すればいい。豊臣は…無事だ」
それから程なくして浅野幸長も駆けつけてきた。
三成はいっそう励まされた。
「俺もまだ、捨てたものではないだろう?なぁ…」
三成は天高く手をかざした。

それからしばらく戦は長引いた。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

10月10日、夜。肥後国隈本城。
加藤清正は結と隼人と小西行長を別々の牢屋に入れた。
特に未来から来てさほど経っていない女子の結を投獄するのは
少し気の毒に思ったが、城主としてのけじめはつけねばなるまい。
清正はその日の夜、まず結に会った。
暗い檻の中で、結は蹲っていた。
清正はそっと声をかけた。
「結」
結は埋めていた顔を上げて、松明の明かりからぼんやりと見える
清正の姿を確認した。
「………」
「正直に話してほしい。これまでの経緯を順を追って」
「経緯…」
「案ずるな。お前への処置は軽く済むように尽力してやる。
元々お前を最初に保護したのも俺だから、多少の責任はある」
「私だけ…?隼人君や、小西さんはどうなるの…?」
清正の表情がわずかに歪んだ。
「……」
「答えてください」
「…隼人の処置は、俺が決めるところではない。徳川殿が決めることだ」
「……じゃあ、小西さんは?」
「それも、最終的な決断は徳川殿に委任される」
「そんなの嫌です…私、そうなってほしくなくて、みんなが
傷つかなくて済むような未来に、変えようと…」
「大それたことをしたな…とにかく、まずはこうなった経緯を
話してほしい」
それから結は、清正とあの日別れた後のことをつらづらと述べた。
隼人と共に江戸へ行き、そこで東軍の諸大名と出会ったこと。
それから再び大坂に戻る際、西軍の諸大名にも出会ったこと。
いろんな人と会って話して、結の気持ちが分かったこと。
三成が言った理想の世の中にしてみたいという気持ち。
関ヶ原の戦いで西軍は負けたけど、このままじゃいけない気がしたこと。
全部、清正に思いをぶつけた。
清正は時々、頷いたり、目を細めたり、目を丸くしたりと、
結の言葉一つ一つに反応を示した。
未来からやってきた少女の、大冒険を耳にして、
興味深いと思いつつ、歴史を変えようとするその姿に少しの警戒心を抱いた。
それでも、彼女の純粋な思いを受け止めようとした。
一通り話終えたのを見て、清正は立ち上がる。
「清正さん…?」
「隼人や小西とも話がしたい。俺が直々に聞かねば気がすまんでな」
「……」
「また明日、ここに来る」
そう言って清正は立ち去った。
結は疲労が溜まっていて、横に寝そべった。

次に清正は隼人に会った。
隼人も結と同じように、より丁寧に説明をした。
やはりこれも結の話す内容と似通っていた。
全てを吐いてから隼人は、土下座をして清正に頼み込んだ。
「お願いします。俺の身はどうなっても構いません。
ただ、結のことは…許してやってください…」
「十分に配慮する。お前のことも」
「…!」

最後に清正は行長に会った。
清正は先程とは一変した険しい表情で行長の檻の前に腰を下ろした。
「おい」
檻の中からの応答はない。
「小西、まさか寝たわけではあるまい」
明かりを檻に向けようとしたその時、
「?!」
檻の中から勢いよく白い手が伸び清正は胸ぐらを掴まれ引っ張られた。
そうだ、どうせ手負いの身では何も出来まいと思い、行長には
首枷も手枷も施されていなかったのが油断だった。
清正は、引っ張られた勢いで顔を檻の格子にぶつけた。
「っ!」
何をする、と言おうと思ったが言えなかった。
檻の中から伸びる手の先に、確かに小西行長はいた。
「間抜けやなぁ」
そう、言われた。
「貴様っ…!」
未だ掴まれている胸ぐらを力づくで離した。
すると腕も闇の中へ素早く引っ込んだ。
清正も今度は警戒して、檻から少し離れて呼びかけた。
「何か言え、馬鹿」
すると檻の中から流暢な異国の言葉が聞こえてきた。
「…何?」
清正が聞き返すと、檻の中の行長は軽快に答えた。
「『汝の隣人を愛せ』聖書の中にある言葉の一つや」
「……」
「…ここに来る前、三成はんにも言われた。現実から逃げるなと」
「……」
「あれがこの言葉を指し示すのかどうかは知らん。せやけど、
現実と対峙した時、清正……アンタがどうしても欠かせへんねん」
「…奇遇だな。俺も、貴様の存在を記憶の片隅から消し去れない」
「へぇ?嬉しいこと言うてくれるなぁ」
「最悪だ」
「…僕も、アンタと一緒や。でも今ここで、向き合わんかったら、
僕もアンタも後悔するかもしれへん」
行長は自ら檻の格子側に近寄った。
清正にも、ようやく相手の姿が見て取れた。



「————仲直り、しよか」




不意に出てきた言葉に、清正は唖然とした。
「は…?何言って…」
「アンタもよう分かっとるんやろ?このまま行くとどうなるか…」
「……」
「徳川はんは絶対、豊臣を滅ぼすで」
「!」
「分からんの?あんな露骨に野心ほのめかしとんのに」
「黙れ」
「ああ、せや…豊臣なんて、もうどうでもええんやったね…」
「戯言を!」
今度は清正が行長の胸ぐらを掴んだ。
行長は動じない。
「…ホンマに守りたいんやったら、ここでのんびりしとる暇はないで。
きっと、三成はんは今頃大坂城で東軍と戦っとる。
豊臣家を、守るためにな」
「…っならば、貴様は俺に会うためにここへ来たとでも?」
「……宇土が心配やったのもあるし、ただ遠くへ逃げたかったっちゅうのもある。
何より、あのお嬢ちゃんが僕に生きろと言うた。
それで、生きてみよかと、思ったんや…!」
「無様だな…挙句の果てはこのザマだ」
「せや!アンタが改まらん限り、僕はこのまま死ぬし、
アンタもいろいろと後悔するできっと!」
「…!」
「ええんやな…秀頼様がどうなっても…僕、知らんよ」
「……」
胸ぐらを掴む清正の力が緩んだ。
清正には何となく分かった。
結や隼人が、三成や行長を守ったことで歴史が変わっていってることに…
きっと、結と出会わなければこうはならなかったのだと…

「俺は…どうすればいい……?」
清正は自分に問いかけた。
今もこの九州では、味方の黒田如水が各地の西軍の居城を攻め立てている。
この状況から、自分に何ができるのか、考えてみた。
清正はスっと立ち上がり、地下牢の門番に何か話しかけた。
門番は行長の檻の前まで行き、ゆっくりとその扉を開けた。
「!」
行長はハッとした。



「出てこいよ。変な真似でもしたら斬るからな」

「へぇ……案外早く出してくれるもんやねぇ…」

タイムスリップ物語 47

10月4日、家康は東軍諸将に大坂城への進軍命令を下した。

その報せを受けた三成の元に、新たな助っ人が馳せ参じた。
立花宗茂である。
立花宗茂は、石田方に属する九州の大名の一人だ。
彼は関ヶ原の戦いには参加しておらず、東軍の城・大津城を攻めていた。
しかし関ヶ原での西軍敗戦を聞くやいなや、大坂城に引き返し、
城に籠もって東軍と徹底抗戦することを毛利輝元に何度も進言していた。
しかし、毛利輝元がなかなか首を縦に振らなかったため、
一旦大坂城を出て自領の柳川に戻ろうとした。
そこで、関ヶ原より撤退してきた島津義弘と偶然にも
出会い、共に九州まで引き上げようとしていたところ、
石田三成大坂城に戻ってきたという噂を引き上げ中に耳にして
立花隊のみが大坂に再び駆け戻って来た次第である。
宗茂は優秀な武将だった。
秀吉生前の九州征伐朝鮮出兵でも大活躍をした。
そんな宗茂の登場に、三成は素直に喜んだ。
「立花殿…まさかここでお会いできるとは」
宗茂は爽やかに笑って三成の手を強く握った。
「私は戦えます。毛利殿は私の説得に応じませんでしたが、
やはり石田殿の説得となると重い腰を上げたようですね。
これでようやく、東軍本隊に一泡吹かせてやれる」
宗茂は意気揚々としている。
三成にとっても大変心強い味方だった。
しかし、結局戦をせざるを得ないということは心残りであった。
家康が、先日わざわざ自分と対談しに来た理由が分からない。
三成は戦をやめさせるためだったが、家康は、あれは元から戦を
するつもりであったのだ。ならば、対談に家康側から応じる必要など
なかったわけだ。
つくづく、家康はいやらしい男だと三成は思っていた。
大坂方は守りを固めつつ、精鋭部隊の進撃の準備をした。

一方東軍は、5日夕方、大坂城を囲むように諸隊で陣を敷いた。
ここで早速酒に入り浸っていたのが福島正則だ。
正則の心は、とても荒れていた。
そして何度も何度も、こう呟いていた。
「俺は騙された…東軍に利は残れど、義が残らねえ…
俺はこれから、豊臣家と、戦わなくちゃならねえのか…?」
正則の様子を心配してやって来た黒田長政がこう励ます。
「いや、お前の敵は石田三成だ。三成は大坂城に籠って、
秀頼様を盾にしているに過ぎない。そうだろ?」
「違う違う違う違う!!!
相手は三成かも知れんが、故太閤様の残した城と、秀頼様に
俺ぁ手は出せん!!そぎゃーなことも分からんのか!!」
こうなった正則を止める手段はない。
長政は、やむを得ず黙って出て行った。

だが、正則の言う通りなのだ。
東軍につけば利があると言って正則を東軍につけたのは
この黒田長政である。
再びこのことを家康に相談すると、家康はこう言った。
「明日にも石田三成毛利輝元らと戦を交えるつもりだが、
その際、甲斐殿(黒田長政)には正則の部隊のすぐ脇に付き添って
いてもらいたい。万が一に、備えてな…」
「もし、正則が裏切るようなことあらば、この長政に、
処置を任せるということですか」
「そういうことになるかの。…それと、加藤嘉明浅野幸長にも
警戒を怠らぬよう…あやつらは、正則同様豊臣家への思い入れが
強い。頼めますかの」
流石に長政一人に任せるのは荷が重い。だから
裏切る可能性が低い他の大名の協力も得た。

長政が去った後、家康は前方にそびえたつ大坂城を一望した。
いつ見ても、豪華絢爛、堅固で、巨大な城である。
家康としても、秀頼に直接手を出すわけにはいかぬ。
本来の目的と違えてしまったら、正則どころか多くの豊臣恩顧たる
東軍諸将が自分のもとから離反するだろう。
あくまでも、城から三成や輝元を引きずり出して叩くのみだ。
そのために家康は、大坂城内の淀殿の協力を得ねばなるまいと
思った。内側から三成達を追い出してくれればスムーズに事が進む。
さっそく、筆と硯を取り出して、直筆で書き始めた。

6日、戦が始まった。
三成は、秀頼を出陣させるため秀頼のもとへ参ったが、
一度淀殿からの承諾を得たはずなのに秀頼は三成の前に現れなかった。
「何故ですか」
三成は秀頼の代わりに応対した淀の方を問い詰める。
淀の方は、やはり秀頼を出すわけにはいかぬと言い切った。
「そんな、今更…っ」
実は昨日の夜、家康からの文が淀の方のもとに届いたのだ。
その内容の一部に、秀頼を絶対城から出さないことや、
三成や輝元を何とかして城外に出すことを要求されていた。
そうすれば秀頼や淀の方含む豊臣家の無事を保障するということだ。
戦禍に巻き込まれることだけはまっぴらごめんな淀の方は
この家康の言葉の先にある真意を察することができなかった。
淀の方は、三成を敵と見なすつもりはないが、助力せず、
家康ともこっそり内通するようなカタチとなった。
「秀頼の出馬なくとも、豊臣を守りきってみせなさい」
「……!」
「それこそ、真の忠臣ではございませぬか」
淀の方はそれ以上の会話に応じなかった。
三成は退室して、壁を拳で思い切り叩いた。
思い通りにならないことばかりで、嫌気が差していたのだ。
そこへ立花宗茂が現れ、三成を慰めた。
三成はうつむいたまま、こう言った。
「俺にもっと実力と人望があれば、こうはならなかっただろうか…」
「多少違った結果が残るかもしれません。ですが、そんな貴方に
ついてきた仲間がいることも忘れずに」
「……」
「良い情報が手に入りました。東軍の、福島正則に動揺が見られます」
「…正則が?」
「ええ。もしかしたら、貴方のもとに、戻ってくるかもしれませんね」
「それはない」
「どうして?」
「正則は…俺を憎んでいる」
「確かに貴方と福島殿は仲が悪い。ですが、守りたいものは同じはず」
「……」
「彼も気づいたのでしょう。このまま東軍に居続けたら、何が残るか」
宗茂はいつだって前向きだった。
その目に、恐れや不安はない。
三成は不意にハハハと笑い出した。
「石田殿…?」
三成の目に、希望の光が戻った。

戦は既に始まっている。
下で、毛利輝元が出陣の用意をしている。
そもそもの戦を起こした三成にも責任はある。
三成は兜の緒を締めた。
「行こう」
己と最後まで戦ってくれる、仲間に敬意を込めて。



一方東軍側でやはり戦意がないのは福島正則の部隊だった。
ろくに兵を出さずに様子を伺っていた。
午前中に戦が始まったが、正則の動きに変化が見られたのは
正午のことだった。
正則は、家臣の一人である足立保茂という者に向かってこう言った。
「俺ぁ、初心にかえろうと思う」
この言葉の意味を、足立保茂は少し間を置いてから理解した。
ハッとして、正則を仰ぐ。
正則は真剣な眼差しで大坂城を見ていた。
「殿、それはつまり…」
「俺の主は、豊臣家だた一つ。今からでも、遅くねーよな…?」
「!」
「へへ、決まりだな…」
正則は立ち上がり、馬に跨った。
片手に持った槍を掲げて、こう言う。
「我らはこれより、大坂方にお味方致す!!
忘るるなかれ、主家は豊臣じゃあ!!」
突如、福島隊から鬨の声が上がった。
福島隊の大半が、気持ちを正則と共有していたらしい。
主家たる豊臣の城と対峙することに、疑問を持つ者が多くいた。
正則の東軍離反に、反対する者は少なかった。
すぐさま福島隊の寝返りを感知した黒田長政
出陣していない残りの部隊に命令を下した。
福島正則の部隊が大坂方に寝返った!情けはいらん、
福島隊を攻め立てろ!!」
黒田隊は、福島隊に攻めかかった。
「正則…」


正則の裏切りに気づいた加藤嘉明浅野幸長の部隊も
それに少なからず反応した。
幸長は、すぐ隣に陣取っていた嘉明の陣へ赴き、嘉明を説得した。
「嘉明さん、私達も、正則さんの後に続きましょうぞ!」
嘉明は首を横に振った。
「俺は、家を守りたい」
「だから豊臣家に馳せ参じようと申し上げておるのです!」
「違う。加藤家のために、俺はここに残る」
「……!」
「主君の首尾一貫しない判断で、お家と家臣達を
路頭に迷わすわけにはいかない」
「で、でも…」
「これは…俺の意志だ。市松のやったことを、批判はしない。
よく考えてから、お前も、やりたいようにすればいい……」
「……」
嘉明の言うことは最もである。
自分達大名の判断に運命を任せる人が大勢いることを忘れてはならない。
嘉明はそれが言いたかったのだ。

幸長は、自陣でよく考えてから、決めた。



「私も、正則さんに続きます!」

タイムスリップ物語 46

時は遡って10月2日…
三成は家康と対談していた(前回の続き)

「…で、石田殿の真意は?」
家康は、三成が大坂で再挙するつもりであったと確信している。
家康本心としても、三成をこのままにしておきたくはなかった。
三成は確かに、大坂で再挙するつもりでいた。
だが、それはこの交渉が失敗した時の最終手段である。
何としても、ここを引き下がるわけにはいかない。
三成は逆を突いてみた。
「では、逆にお尋ねしますが、貴殿は天下を狙っておるのでは
ありませぬか?」
「ほう…?何故そう思われる」
「秀吉様亡き後からの貴殿の行動の数々を挙げていったらキリがない。
秀吉様の遺言で禁じられていた大名家同士の婚姻関係を勝手に結び、
加藤清正福島正則との関係を深め、先の関ヶ原の戦においても
多くの豊臣恩顧の武将を味方につけた。また、私の謹慎中に
前田家に対し一方的な難癖を押し付け、
芳春院様(利家の妻、利長の母)を人質に取り、前田家を支配下
組み込む。更に秀頼様の名のもと諸大名を加増させる。
これらの件はどう見ても、天下取りのための礎を築いている
ようにしか見えません」
すると家康は皮肉な笑みを浮かべながら問い返す。
「しかし、此度の戦を起こす契機を作ったのは石田殿でござろう?
会津の上杉氏と、前もって密約を交わし、儂らを
挟み撃ちにするつもりではございませんでしたかな」
「それは…」
「なんとも都合の良すぎる話ではござらぬか。
おそらく石田殿は、幼稚な言葉で言うと、
我々と仲直りがしたいのでござろう?」
家康の目に不気味な光が宿った。
家康の言う通り、三成はもう戦をしたくない。
皆で手を取り合って、もう一度、関係を築き直したかった。
だがそれは、戦に勝った家康からしてみれば、
三成にとって都合の良い話だった。
これでは何のために戦って勝利を収めたか分からぬ。
特に、徳川家の人間にとっては損しか残らないだろう。
家康はここで三成を潰しておきたかった。
家康は言う。
「ここで、石田殿は戦の責任を取るべきではござらぬか。
戦に負けた武士は、潔く死ぬのが道理でござろう?
まぁ、石田殿の場合は自害するつもりもなさそうですが」
「死ぬのが道理とは限りますまい。生きて、罪を償い、
壊れたものを修復することもこの先の時代に必要ではないでしょうか」
「ほう?これはまた、変わった価値観を述べられる」
家康は立ち上がった。
「ですがのう、このままでは我々も納得がいかぬ。
やはり、戦にて決着をつけようではござらぬか」
「待たれよ!」
三成も勢いよく立ち上がる。
家康の袖を掴もうとしたが、家康は振り払った。
「往生際が悪いですぞ、石田殿」
「もし俺が関ヶ原で勝っていれば、貴殿を含む全ての東軍諸将に
死を迫ったりはしない!」
「……」
「何故ならば、俺はまだ間に合うと思っているからだ!」
「……もう、遅い」
「!」
「聞き飽きましたぞ。そんなに諦め切れぬのでしたら、
今度こそ、儂らとの戦に勝ってその意志の強さを証明なされ」
「これ以上の犠牲は無意味だと思わないのか!」
三成は声を上げた。だが、家康は振り向くことなく、本多忠勝と共に
城を出ていった。
三成は呆然と立ち尽くした。
部屋の外で話を聞いていたのだろう、毛利輝元が三成のもとに
近寄った。
「治部殿…」
三成は、力の抜けた声でこう呟く。
「吉継も、左近も、俺のために死んだのだ。
このままでは、申し訳が立たぬ」
「………」




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

10月10日、宇土城近辺まで結の一行は行長のために
清正に会いに行くことになった。
結と隼人が、立ち上がる。
「小西さん、待っててくださいね」
「ん…」
行長は木陰の奥に隠れた。
「隼人君、清正さんはどこにいるのかな」
隼人は指を差しながら言った。
「あそこに見える陣幕…きっとあれが加藤軍の本陣だ。
だが、のこのこと出て行って加藤殿に会う前に斬られたりでも
したら意味がない。気をつけろ」
「うん」
隼人は結の手を握って迂回しながら本陣へ近づいた。
宇土城では激しい攻防が行われている。
そこらで血を流した兵がいっぱい倒れているのだ。
結は隼人の手をしっかりと握った。恐ろしい。
この手を離したら、戦場に巻き込まれてしまいそうで恐かった。
やっと本陣の目の前まで来た。
本陣の周りを囲む兵士が二人の存在に気づき、追い払うように
こちらに向かって槍を振った。
「ここは戦場ぞ!民は直ちに立ち去るべし!」
これに対し隼人も大声で申し出た。
「加藤様に大事な話を持って参りました!お目通り願いたい!」
「何?!さては徳川からの使者か!」
この言葉は隼人にとって皮肉なものであった。
「…そうだ!!今すぐお取次ぎ願う!」
兵士は待っておれと言い残し、陣幕の中へ入っていった。
そしてすぐに外へ出てきて、入れ!と手招きをした。
「…結、行くぞ」
「……うん」
二人は本陣の中に足を踏み入れた。

本陣の中には、側近と思われる家臣が数名と、小姓が一名。
そしてその中央より少し奥に、椅子が置かれ、そこに甲冑を
身に纏った人物、加藤清正が座っていた。
清正は使者が結と隼人であることを知って顔色を変えた。
ちなみに清正はまだ関ヶ原の戦いの勝敗を聞いていた。
しかし、宇土城の攻略に手間がかかっていたのだ。
清正はてっきり、結が江戸の地で、未来に帰るための何の手がかりも
得られず、再び隼人の付き添いで自分のもとまで頼ってきたのかと
思い込んだ。ここに来るまで、戦に巻き込まれなかったか?と、
聞こうとした。だが、清正の労いの気持ちは次の隼人の言葉で
裏切られることとなる。


「ここに、小西摂津守行長殿をお連れしました」


隼人のその一言で、本陣の中にいた清正含む全員が固まった。皆、何を言っているのかというふうな顔をしている。
清正はすぐ正気を取り戻して鋭い目つきで隼人にではなく、
結に向けて聞き返した。
「どういうことだ」
先程までの態度とは一変した。
結は、一瞬凍りついたが隼人の目配せに気づいて勇気を出した。
「西軍の、石田三成さん達と、東軍の、徳川家康さん達が
関ヶ原で戦いました。西軍が負けました。
でも石田さんは大坂で、もう一度起ち上がると言いました。
そして小西行長さんは、今、清正さんとの面会を求めています。
だから、小西さんに会って、話をしてくれませんか?」
清正は結が言い終わる前に立ち上がり、こちらに歩み寄った。
甲冑を着た清正はいっそう大柄に見えた。
咄嗟に、隼人が結の前に腕を伸ばして守るような態勢をとった。
清正は立ち止まり、少し怯えた結の顔を落ち着いた眼差しで見下ろしてから、
隼人に視線を移した。
「…確か、隼人と申したな。……徳川の家臣であるお前が、
何故、敵である、しかも敗将の小西をここまで連れてきた?」
先程の結の発言から、これは徳川家康の命令でないことは
清正にもすぐ分かった。
どう考えても、戦に負けて戦場から逃げたであろう行長を、
結と隼人が守ってここまで連れてきたとみるしかない。
隼人も真剣な眼差しで答えた。
「行動は俺の独断です。俺と結は、
皆さんに、一からやり直していただきたいのです」
「ふざけているのか」
清正は間髪入れずに言った。
「お前のやった行為は、紛れもない、徳川家への裏切り行為だ。
敗将たる小西を意図的に逃がしたことも大罪だ。
今更敗将の小西などと話し合って、俺にどうしろと言うのだ。
そんなに俺に奴を殺させたいのか。
それとも…まさか、これはお前の提案なのか?」
結を見つめる清正の目は、静かな怒りと悲しみを露わにしていた。
「清正さん、お願い…小西さんを助けて…」
結は震えながら訴えた。清正がこの時ばかりは恐かった。
初めて出会った時とはまた違う、恐怖を感じたのだ。
清正は目を細めて、隼人に尋ねた。
「小西はどこにいる」
隼人は苦い表情をした。
しかし、ここで黙り込んでも清正達は小西を探すだろう。
それに…まだ、諦めてはいなかった。
「小西殿は、あちらの雑木林の茂みにおられます」
すると直ちに、清正は数十名の兵士に小西を探させた。
それだけでは終わらない。
清正は、結と隼人も捕らえるよう家臣に命じた。
結が抵抗しようとしたが、隼人が言い聞かせた。
「今は、されるがままにされるしかない」
「そんな…」
「大丈夫だ。加藤殿ならまだ俺達を殺さないだろう」
結は再び椅子に座り込んだ清正を見た。
清正はもう視線を合わせてくれない。
静かに、下を向いて、黙り込んでいる。
「清正さん…っ」
それから結と隼人はよそへ連れて行かれた。
正確に言うと、清正の居城・熊本城だ。

清正は、結と隼人が外に連れて行かれたのを確認してから、
傍に控えていた重臣の庄林一心(加藤三傑の一人)にこう命じた。
「一旦、城攻めを中止しろ」
「え?良いのでございまするか」
「良い。その代わり宇土城に籠っている連中に、
小西行長の帰還と捕縛を伝えろ。
行長の身は、しばしこの清正が預かる故、無駄な抵抗はせず、
城で大人しくこちらの沙汰を待っておれ…とな。
流石に城の主人が人質に取られておれば向こうは何もできまい」
「心得ました」
一心は本陣を出て行った。

戦場が静かになってから間もなく、
ここに捕らえられた行長が連れられてきた。
確かに、小西行長その人だった。
清正は睨んだが、行長は口元を釣り上げて笑い返した。
「その様子じゃ、あの子達失敗したんやな…」
「貴様が二人をたぶらかしたんだろう」
「そう見えるん?」
「…貴様は城の地下牢に閉じ込めておく。
俺としては今すぐ貴様を殺してやりたいところだが、
徳川殿にもこのことを知らせねばなるまい。
生き恥を晒しおって…」
「ふん。豊臣に仇を為す裏切り者に言われとうないわ」
「…っ!」
「僕のことはともかく、あの子達に悪気はないで」
「……」
「あのお嬢ちゃん…戦に負けて逃げて
半ば諦めとった僕にな、こう言うてくれたんよ。
『清正なら分かってくれる』と」
「……」
「清正と話し合うて、仲直りしてくれとも言うた」
「愚かなことを…」
「確かに愚かやなぁ。僕も、アンタと仲直りなんか、
考えただけでも反吐が出る」
「…余程死に急いでいるようだな、貴様」
「ま、清正とまともに話し合うなんて多分無理やと思っとったし?
僕を殺したくば殺せ。アンタに殺されるんなら、しゃあないわ」
「貴様の話は後でゆっくり聞いてやる。少し黙ってろ」
「そう?…あ、後な…宇土城の者は皆許したってや」
「そのつもりだ。無駄な抵抗をせねばの話だがな」
「……」
行長は早く牢屋に連れて行けといった風に、口を閉ざした。
清正も、何も言わなかった。
だが、彼もこのままで終わらせる気はなかった。
徳川に報せて、今後についての沙汰が下りる前に、清正は、
行長はもちろんのこと、結や隼人と話さねばならぬと思っていた。

タイムスリップ物語 45

9月29日…ついに、徳川家康は動いた。
大津城を出て、大坂城へ向かうよう諸将に指示した。
これには福島正則らが苦い顔をした。
戦いたくなかった。

一方、大坂城石田三成も東軍の動きを知って
毛利輝元と共にどっしりと構えた。
輝元は、三成に問うた。
「戦に勝利し勢いづいた東軍と、本気で戦えるのだろうか」
三成は、横に首を振った。
「これ以上血を流すつもりはありません」
「…では、どうするつもりで」
「秀頼様は、あくまで豊臣の象徴として御出陣いただいたまで。
その下で、俺は、家康と話し合いがしたいのです」
「なっ…何を今更!この状況で、しかも貴殿は敗将の身…
家康が話し合いに応じるとは思えん」
「やってみなければ分からぬ」
「いや、やる以前から結果は見えている。もし、治部殿と家康の
立場が逆であったなら、貴殿は、負けた家康と話し合って許すのか?」
「そうです」
「!」
「もし俺が関ヶ原で勝っていれば、東軍の誰一人、殺しはしません」
「……だが、家康が貴殿と同じ行動を取るわけではないぞ」
「ええ。ですが、俺は、賭けたいのです…
勝手に戦まで起こしておいて、しかも負けて、非常に、
身勝手で都合の良い話だとは思います。
話し合いで解決したいのなら、何故、
初めからそうしなかったのだと…お責めになるでしょう。
私も元々は、そんなこと、するつもりはありませんでした。
ですが、それでは本当に、何も得られぬままではないかと…
そう、思ったのです」
「…治部殿」
「家康は馬鹿ではない。両手を上げた俺を、有無も言わさず
斬り殺すような人物ではない。お願いします毛利殿…
この三成に、今一度、機会を…」
輝元は首元に片手を当てながら、うんと頷いた。
「好きにしてくれ。その代わり、失敗したらどうする」
「今は、良い結果を望むまでです」
三成は天守から大坂の城下町を見下ろした。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

10月2日…東軍は大坂城付近まで進軍し、駐屯した。
大坂城天守から見えるところまで来ていた。
「いよいよ…だな」
三成がそう思っていた時、人がやって来た。
「石田様、徳川の御使者が参っております」
「使者?」
「石田様にお目通り願いたいとのこと…」
「分かった。通せ」
「はっ」
すぐに使者とやらはこちらにやって来た。
三成は立ったまま使者に聞く。
「何用か」
「はっ…徳川内府様より文を授かって参りました」
使者は懐から文を取り出し三成に差し出した。
三成は文を開いて読んだ。
使者が三成のもとに参ったと聞いて毛利輝元も駆けつけて来た。
「治部殿、文には何と…」
文を持つ三成の手は少し震えていた。
そして、今にも飛び上がりそうな様子で答える。
「家康から、話し合いを申し出てきた!」
「何と…」
「これは思った以上に事が上手く進むやもしれませぬ」
「…で、話し合いの場はどこで?」
大坂城内で執り行いたいとのこと…」
「それならば、今すぐにでも」
「それがよろしいでしょう。使者よ、今すぐ談合を行いたいと伝えてくれ」
「はっ」
使者はすぐさま東軍本陣へと引き返していった。

それからしばらくして、東軍側から人がやって来た。
三成は一室を設けて待っていた。
そして、部屋に入ってきた者の顔を見た。
徳川家康本人と、その護衛の本多忠勝がやって来たのだ。
家康は与えられた席に座るなり、朗らかに笑いながら、
「石田殿が大坂城におると聞いて、驚きましたぞ」
と言った。だが、目は笑っていない。
三成も落ち着き払って冷静に答えた。
「貴方と、今一度話がしたいと思うておりました」
「そのために、大坂まで命からがら逃げましたか。別にここ大坂でなくとも
この家康、話くらいいくらでも聞いて差し上げましたがの」
「……」
大坂城にまで逃げ延びたのは、毛利殿と共に再挙し
我らにもう一度戦を挑むためではなかったのですかな」
家康は容赦なかった。
三成の行動の不明な点を、一つずつ挙げて、追い詰めようとした。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

その頃、結達は九州の小倉まで舟で行き着き、
5日にも筑後(現在の福岡県南部)の山道を歩いていた。
ここまで来れば、肥後はもうすぐだった。
「もうじき、肥後国に入ります」
先頭を行く隼人は後ろに続く結達に伝えた。
「熊本…か…」
結にとっては初めての九州、そして熊本県だった。
そして7日、とうとう肥後国に足を踏み入れた。
南方に大きな山が見えてきた。
秀家が山を一望して言う。
「あれが阿蘇山じゃな。前に見たのは九州征伐の時であったか」
阿蘇山…」
結も阿蘇山は知っている。熊本県にある、活火山だ。
広大なカルデラ地形をしており、未来では有名な観光地の一つだ。
秀家の家臣の明石は見惚れながら、
「まっこと、火の国であられますなぁ」
と言った。まるで観光にでも来たかのような会話をしているので、
結は思わず微笑んだ。
至って真面目な顔をしているのは、隼人と行長だ。
行長はここまで来て秀家に一つ申し出た。
「秀家様、やはり…貴方はこのまま薩摩までお逃げ下さい」
「何じゃと?」
秀家は目を丸くして唖然としている。
「一緒に参ると申したであろう?今更言葉を撤回するつもりはないぞ」
「いいえ。肥後の事情は僕とアイツの問題やさかい…
秀家様には関係のないことだと思いました」
少し落ち込んだような表情で、秀家はうつむいた。
行長は気まずそうに続ける。
「別に僕は、秀家様が邪魔やとは思っとりまへん。むしろ感謝しとります。
秀家様がいなかったら、僕、きっとここまで来れへんかった。
会えるとも思うとりまへんでした。ホンマに、感謝してまっせ」
行長は続ける。
「だからこそ、秀家様には、本来の目的を達成していただきたいんや…
僕かて肥後半国の大名。自分の国の問題は、自分でどうにかする。せやから…」
行長は頭を下げた。
すると秀家は愉快そうに笑い出す。
「はっはっは!…行長の申すこと、もっともである!」
「それでは…」
「お主の申す通りじゃ。儂のおせっかいであったな」
「いえ…」
「では、儂は薩摩まで参ろう」
「…おおきに、秀家様」
「うむ。じゃが、そこの娘!」
「!」
結は突然秀家に指を差されて肩がビクリとした。
「相原結であったか」
「お、覚えていてくださったんですね…」
確か名前を名乗ったのは、関ヶ原より前の、初めて会ったあの時だけだったはず。
「儂は一度名乗った者の名は忘れぬぞ。
儂はもう少し先で行長と別れ、この明石と共に薩摩まで行くが、
お主とその連れの者はこの先も行長についていくのであろう?」
それには隼人が返答する。
「はい。一応…宇土まで、護衛させていただくつもりです」
「ならば、行長のことは頼んだぞ」
秀家は行長と、隼人や結の顔を交互に確認した。
結と隼人もコクりと頷く。
しかし行長は困り顔のままだった。
行長は、結が自分に会うより前に、清正の恩をもらったことを知っている。
結達が九州へ行こうと誘ってくれた時もそうだったが、
やはり万が一のことがあっては申し訳なかったのだ。
それでも結達に迷いはない。
これはまだ戦乱の世の真の現実を知らない結の恐れ知らずから来るものなのか、
それとも相当の覚悟を持った上なのか…
行長には知る由もなかった。

一行は阿蘇山を横切り、熊本南部へ進んだ。
そこで秀家と明石は結達と別れ、まっすぐ薩摩へと向かった。
ムードメーカーでエネルギッシュな秀家がいなくなり、一行は若干静かになった。
行長の本拠地・宇土はもうすぐだ。
この辺の地理は行長の方が詳しいため、隼人は行長に教えてもらい
ながら先頭を進んだ。
10月9日、結達は宇土城近辺まで辿り着いた。
そこで結達は宇土領内の村人に遭遇した。
村人は行長の顔を見てアッと口を開けた。
「もしや小西様ですか?」
行長は頷いた。
「ああ!ようやく領主様がお戻りになった!」
村人は喜んでいる。
行長は落ち着いて宇土城の様子を訊いた。
すると村人は悲痛な表情を浮かべてこう話した。
「先月には加藤主計頭様の軍勢が宇土へ押し寄せて、つい今月2日にも
三ノ丸まで抜かれ、本丸・二ノ丸の攻防戦に入っているようです」
「!」
「ですが、城代の行景様はよくこれを防いでおられまする!
どうか、今すぐお戻りくだされ…!」
「言われずもがな…」
行長は遠方に見える宇土城を遠目で見た。
結もこれは緊急のことだと察し、急ごうと促した。

10月10日、ついに、宇土城間近まで到着した。
確かに激しい攻防戦が繰り広げられている。
木陰に隠れて、行長は様子を伺っている。
結が、小声で尋ねる。
「どうやって、お城に入りますか?」
行長は答える。
「いや…この乱戦状態の中、城に入るんは無理や…」
「じゃあ、どうするつもりで」
「戦を、一旦休戦させるしかないやろね…」
行長は敵陣の方を見る。
「…そのためには、直接、清正に僕の存在を知らせなアカンわ」
「!」
隼人が感づいたように行長に訊く。
「その役目を、俺達に頼みたいと…いうことですか」
「せや」
隼人は結と顔を見合わせたが、すぐに目をそらした。
結がどうしたのかと尋ねると、隼人はこう言った。
「加藤殿は、俺のことも知っている…」
そこまで言って、結もハッとした。


—————そうだ。隼人は正式な、徳川の家臣だ。


行長はまだ隼人の正体を知らない。だから、隼人が困惑しているのを
見て今更何だと言いたそうな顔をした。
単に迷い子である結の行動はまだしも、徳川家臣の隼人はまずかった。
隼人は改めて、自分の行為が徳川の裏切り行為に値することを認識させられた。
もし、このまま結や清正を通じて東軍にことことがバレたら…
どうなるのだろう…
一度は覚悟をした上であったが、やはり、今の自分の立場は相当
危険なものである。
だが、バレたとしたら既にもう手遅れであろう。
西軍の敗将達を守り、ここまで連れてきたのも事実。
今更迷っていたって仕方がない。
隼人は望みをかけた。
何としてでも、自分達は清正を説得し、大坂の三成は徳川を説得する。
それしか生き残る道はない。

心配そうな顔で見つめる結を振り返って、大きく頷いてみせた。
「やってやる。絶対、成功させようぜ」
精一杯笑ってみせた。

タイムスリップ物語 44

「…で、お前さんの仮説による第三者ってのは?」
「あの女だ」
「あの女?」
高虎は聞き返した。
「誰のことだよ」
「まだ記憶に新しかろう…関ヶ原より前、江戸から清洲まで俺達と
同行した奇妙な女がいただろう」
「それって…あの…」
高虎が思い出しかけた時、長政は否定した。
「何故そうだと言い切れる?あの娘御が石田方に通じていた証拠も
ないというのに」
「あくまで憶測だと言ったはずだ。確信はない。
だが…俺は8月に、あの女と福島が話をしているところを見た」
「8月…?」
「江戸から西上して小田原に泊まった時のことだ。あの女は
福島にこう訊いたのだ。『石田三成が嫌いなのか?』と」
「……」
長政は忠興が単身で行動しこれほどの情報を掴んでいることに
驚いていた。そして、息を殺して忠興の言葉を待つ。
「石田のことを訊かれた福島は、女に訊かれてもいない
ことまで話して、勝手に泣き出した。あれが正直まずかったと思う。
福島の発言の中身はまさに後悔そのものだった。まるで、昔に
戻りたいとでも言いたげな、真に不注意な発言であった。
あれを聞かされた女も動揺していた。ここから先は完全に
俺の推測だが、あの女がもし福島に感化されて、生意気なことに
どうにかしてやれないものかと考え行動したとしたら…」
「!」
高虎と長政は息を飲んだ。忠興は続ける。
「あの時女が清洲で別れたのも得心がいく」
「だがあれは…娘御の本来の目的地たる大坂へ行くために途中まで
俺達と同行していただけだと井伊殿から聞いたぞ…」
「表向きはそうだろう。確かにそれも含んでいたに違いない。
だがもし、大坂へ向かう途中で気持ちが変わったとすればどうだ?」
「それは……」
「ま、憶測は憶測だ。とにかく石田が大坂まで逃げ込んで
しまったことは事実…これだけはどうしようもないな」
忠興は深く息をついてから楽な姿勢をとる。

「もし、本当にそうだとしたら、隼人はどうしたんだ…」
高虎が呟く。
「あの娘の護衛をした隼人は徳川の家臣だぞ…
隼人なら絶対娘にそんなマネはさせないはずだろ」
高虎の発言に対し忠興が即座に答える。
「最悪西軍に加担した可能性も否めない」
「っ!」
「おい、忠興!言いすぎだぞ」
長政が忠告した。
「ふん」
その後3人はしばらく部屋の中で時間を無意味に費やしていた…

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

9月27日…
噂の結達は備後(現在の広島県東部)まで来ていた。
ここへ来るまでに、結達に新たな仲間が加わった。
明石全登である。
彼は宇喜多家の家臣で、秀家と共に関ヶ原で戦った者だ。
関ヶ原から秀家を逃がした後、自身も何とか岡山まで
逃げたという。岡山城には兵がほとんど残っておらず、
途方に暮れていたところ主人・秀家と再会を果たしたのだ。
秀家にとってこれは喜ばしいことであった。
また、明石は熱心なキリシタンでもあった。
そのため同じキリシタンである行長も、彼との仲間意識が芽生えた。
更に、大名である秀家と行長の護衛が一人増えたことにもなり、
これは隼人もありがたかった。

30日には周防(現在の山口県南部)まで到達していた。
「もうすぐだ…長門(現在の山口県北部)の海岸まで出たら、
舟で豊前小倉まで進みます」
隼人は左手を額にあてて遠くを見渡した。
結は隼人に尋ねる。
豊前小倉ってどの辺り…?」
「北九州の先っぽかな」
「ついに、九州か…」
結は未来でも九州に行ったことがなかったので、
少しわくわくしてしまう。
「九州っていったらやっぱり博多とか」
「ああ、博多もあるよ。博多は通過するだけだがな」
二人の会話に秀家が割り込んでくる。
「北九州では黒田如水が13日にも石垣原で大友の軍勢を
破ったと聞いた。その勢いで豊後の制圧にかかっておるそうじゃ」

黒田長政の父・黒田如水は、これまでに蓄えていた金銀米穀を
放出して大軍を募兵した。
それから、中立に近い立場を示していた熊本の加藤清正と連絡を取り、
東軍への積極的加担をすすめた上で、
如水は豊後へ進軍した。如水にとってこの豊後は、
黒田家自衛のためにも、また自身の“野望”のためにも非常に
重要な地であったのだ。
9月13日、石垣原の戦いで大友軍を撃破した如水は、15日にも
大友家当主・大友義統を降伏させた。
以後も如水は迅速に動き回り、豊前豊後の各城を次々と攻略していった。

秀家は警戒するよう呼びかけた、更に行長に一言付け加えた。
「この様子では、加藤清正も既に宇土城を攻めておろうな」
「……はい」
結達はまだ知らぬが、21日にも加藤清正宇土へ進軍していた。
宇土城には行長の弟・行景がいる。
行長は心配であった。九州に逃げたら、そのまま宇土
駆けつけようとも内心思っていた。
「僕、宇土へ戻りますわ」
「行長…」
先頭を行く隼人も振り返った。
宇土に残した弟や妻子、家臣達を、
ここまで来て見捨てるなんて出来ひん」
「そうか…」
秀家は引き止めない。行長の発言は最もであるからだ。
そこで秀家は胸を拳でトントンと叩いてみせた。
「ならば儂も行長と共に宇土へ参ろう!」
「!」
行長は細い目を見開いた。
「そんな…秀家様まで…」
「良いのじゃ。その代わり、死なぬと約束せよ。
今頃大坂では三成が頑張っておる。儂らもまだ、
命運は尽きておらぬ。…なに、相手は清正じゃ……
頑固じゃが話くらいは聞ける男だと思う。のう、娘」
秀家は愕然としている結に話を振った。
「え……えっと…」
つまり、清正が話し合いに
応じるかどうかということであることを秀家は結に尋ねたのだ。
結は頭の中で整理してから、
「はい」
とのみ答えた。
行長は不安げに言う。
「清正と、和平を結べと、そう、おっしゃりはるんですか?」
「そうじゃ」
秀家ははっきりと断言する。
行長にとって和平は一種のトラウマであった。
失敗を恐れている。戸惑う行長の背中を、結が押した。
「小西さん」
「?」
「きっと出来ます」
「……」
行長は胸に垂れ下がった十字架を手に取った。
「(これは、神から与えられた最後の試練なんやろか…)」

“交渉は最善の手段だとは思わないかね?
熱い言葉が多くの命を救うのだぞ”

行長は、その昔誰かから言われた言葉を思い出す。




「………っ」


胸に、十字を切った。

タイムスリップ物語 43

9月20日徳川家康が大津城に入ったとの報せが入った。
大津城城主は京極高次といってお市の次女・初の夫であった。
彼は元々は西軍であったが、
大谷吉継が美濃の方へ転進した際に突如東軍へ寝返り、
3000の兵を率いて大津城に籠城したのだ。
これに対し西軍は毛利元康・立花宗茂らに大津城を攻めさせた。
京極高次は必死にこれを防いだが、力尽き、
9月15日に開城した。
その5日後に、家康が入城したのだ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

結達は大坂を出て、播磨、そして備前へと…ただひたらすらに歩いた。
ここまで休むことなく歩き続きたのは結にとって初めてのことだった。
だがやむを得ない。
畿内にいるほど危険なのだ。
備前まで来て、宇喜多秀家は何度が踏みとどまった。
ここは宇喜多秀家の故郷であり、領地だからだ。
だが、岡山城に残した宇喜多のわずかな兵は西軍大敗の報を聞き、
散り散りになって逃げたという。
今城に戻ってももぬけの殻に違いなかった。
秀家は苦笑した。
9月24日のことである。関ヶ原の合戦より一週間以上経った。
そこで結は三成のことを思い出した。
「石田さん…今頃どうしてるんだろ…」
三成は必ず再挙すると言った。だが、あの強情そうな
淀の方という女性の顔を結は思い浮かべた。
淀の方についても結はあまり知らない。
だが、あの人が動かなければ三成も動きにくいのが
結にも何となく分かった。
「きっと石田さんなら、大丈夫だよね…」
そう言いかけた時、横から行長は息を吐くように笑った。
「(…小西さん?)」
正直行長は三成の再挙が叶うとは思っていなかった。
三成の真剣な眼差しで見つめられた時は可能やもしれぬと
思ったが、やはり今の状況を見る限り無理だろうと思い改まった。
行長は知っている。どんなに努力しても叶わない望みが
あることを知っている。自身の知恵を振り絞って臨んだが
結果的に全て気泡に帰した朝鮮でのあの苦心を思い出していたのだ。
だがそれを結や秀家の前で言うのは避けた。
二人はこんなにも前向きなのに、自分ときたら…
行長はそう思わずにいられなかった。

しかし、三成はやってのける男だった。
まず、毛利輝元を説得した。
大坂で東軍と対峙するとなれば、動かぬわけにはいかない。
それから二人揃って淀の方を説得した。
淀の方はようやく重い腰を上げた。
秀頼を厳重な警護のもと城から出すことになった。
この時豊臣秀頼は数え年8歳だった。
肌は白く、まだ幼いが凛々しい顔つきをした少年だった。
そんな秀頼の出陣に真っ先に動揺を見せたのは福島正則だった。
現在東軍は大津にいた。
正則はそれ以前から心に迷いを抱えていた。
このままで良いのか?そう、思い悩み続けていた。
正則の動揺をいち早く察した黒田長政は再び正則を言い聞かせる。
だが、正則の心はもうそこになかった。
長政は徳川家康に相談した。
三成が大坂城にいるという情報が入った後だったので、
より正則に対し警戒を怠らないよう長政は頼まれた。
東軍は大坂にいる三成が西軍総大将の毛利輝元を説得し
秀頼を擁したということを昨日知らされたばかりだ。
22日、正則は加藤嘉明浅野幸長を呼んで密談を始めた。
「…三成が、秀頼様を擁したと聞いて、俺は、
これ以上戦うことができない」
正則は俯きがちにそう言う。幸長が返す。
「治部は汚いマネをします…秀頼様をも道具として
利用しているのが、一目瞭然です」
「…ちっ」
正則は舌打ちした。しかし心のどこかで、妙なざわめきがする。
「それでも俺ぁ、秀頼様とは戦えねえ…
これからどうしたらいい…?」
正則は古くからの友人たる嘉明に救いを求めるような目で訊いた。
だが嘉明は直接答えようとはしなかった。
嘉明はこの密談を誰かに聞かれている可能性を危惧した。
だから少し間をあけてから
「己の心に問うてみよ」
と、右手を左胸に当ててからそう言った。
「己の…心……」
正則も右手を左胸に当てた。

やはり、この密談を盗み聞いた者がいた。
藤堂家の忍だった。
忍は藤堂高虎にこのことを伝えると、高虎は
家康のもとに行ってそのままを伝えた。
ここでも家康は、警戒を怠るなと指示した。
家康は直接手出しはしなかった。
そして、今後の予定を皆に告げることはなかった。
特に正則は東軍勝利に大きく貢献してくれた人物の一人だ。
迂闊に手は出せない。
この日、高虎は長政に会った。
互いに正則らを監視する役目を負っている。
一室で、高虎は今後について長政と談義する。
「先の関ヶ原では俺達が勝った。だが、まさか三成が
追っ手を逃れて大坂城に入っちまうとは思わなかった!
しかも、秀頼様を擁してこちらの動揺を誘っている。
内府殿はまだ何の指示をくださらねえ。
俺達これからどうなるんだ、なぁ?」
高虎の口調はおどけているが顔は真剣だった。
長政もこれから先のことは検討もつかない。
「分からない…」
「そういやぁお前さんの親父殿…九州でご活躍中だそうで」
「ああ」
「東軍のために、か…」
「…お前、何が言いたい」
「ん?いやぁ…深い意味はねえよ」
これには長政も冷や汗をかいた。彼の父・黒田如水
長政にも考えつかないようなことをやってみせる野心家だった。
このまま何事もないのを願うしかなかった。
「それより、今話し合うべきは正則達のことだ」
「ああそうだ」
高虎は顎に手を添える。
「…んで、俺んとこの忍によると、正則は相当まいってたそうだ。
幸長も何しでかすか分からねえ様子だった。
嘉明は、どうだかな」
「あの3人が万が一三成方に寝返ったらまずい」
「いや…三成自身に味方するとも思えねえがな…」
「そうだろうか」
「三成に味方するっていうよりは、秀頼様のもとに
馳せ参じるといったところか」
「…その地点で俺達の味方でなくなるのは確かだ」
長政は断言した。必死な様子で強く言葉を続ける。
「そもそも、三成が大坂に逃げ込む前に捕まっていれば
こんなことにはならなかった。そうだろ?」
「まあな」
「三成だけじゃない。西軍の誰一人、見つかってないじゃないか」
「ああ」
「おかしいと思わないか?落ち武者となった彼らにそこまで
行動力があるとは思えない。彼らの近習が手助けをしたから?
いや、俺はそうは思わない。彼らがいつまでも家来を連れて
逃げるとは思わないんだ。迷惑をかけまいと、あるいは一人の方が
目立たぬと言って、一人で行動するはずだ。俺は思う。その後、
三者の手によって遠くへ逃げ延びたのではないかと」
「第三者…ねえ?」
高虎は顎を指でさすった。
「仮にその、第三者がいたとして、誰がそんなことを」
長政の発言はすべて憶測に過ぎぬと、言いたげな態度で
高虎は笑い返した。



「考えられなくもない」

突然、二人のいる部屋の麩が勢いよく開かれた。
高虎と長政が驚いて顔を上げると、そこに立っていたのは
細川忠興だった。
「忠興お前っ…盗み聞きしていたな」
長政が睨み返すと忠興は鼻で笑い返す。
「ふん…別に良いではないか。仲間だろう?」
「……」
長政が溜め息をついている間に、高虎が忠興に尋ねた。
「何だい?何か、思い当たることでもあるのかい?」
「思い当たるというよりは、黒田と同じ憶測だ」
忠興はスっと腰を下ろしてニヤリと笑った。
「まぁいい、話してくれよ、その、お前さんの仮説を」
高虎は耳をかたむけた。
長政も渋々聞く姿勢になる。